陽光




 「まずいわ、お肌にハリがない!」
可憐はその美しい頬にせっせと美容保湿成分配合の化粧液を塗りながら呟く。自らのすばらしくも儚い美貌を保つためには努力を欠かさない誇り高い可憐さんといえど不調なときはままあるもので、まるで親の仇でも見つめるような形相を鏡に向けている。そんな刺々しい顔をしている方が美容に悪いのでは、と男性陣は思わないでもないが、午後のうららかな時間、苛立った可憐に茶々を入れるべきではないと賢明に判断していた。
 「そうぴりぴりしていては、ますます潤いが失われましてよ」
しかし野梨子はそんな心配などおかまいなしに、湯飲みを傾けながらいつもの通り上品に皮肉った。黒髪おかっぱ頭、小柄で童顔で色白で、大和撫子の代名詞のような愛らしい姿の少女は、しかしこう見えて儚く脆い存在ではない。目に見えて強靱なわけではないが、しなやかで凛とした、一筋縄ではいかない人物である。
 「あんた本っ当にいい性格してるわよね」
それを端的に表し、これもいつも通りしばし睨み合う可憐と野梨子。関わるまいとそっぽを向く魅録と、経済新聞を広げている清四郎。まあまあ、とそこを宥めに入るのは、つい先ほどまでスケジュール帳の埋まり具合を見つめて頬をゆるめていた、世界の恋人、美童グランマニエであった。ちなみに悠理は補習が長引いてまだここに来られていない。
 「血行が悪くなってるんじゃないかな、今の時期冷房で冷えちゃうし」
 「それは分かってるのよ、この状況をどう打開するか、よ」
 「よし、じゃあマッサージしてあげよう」
むすりと口元を曲げる可憐の背後に回り、スペシャルマッサージだよと穏やかに笑いかける美童。変なところ触らないでよ、と揶揄しながらもやっと眉間のしわを解いてほほえむ可憐。端から見ればいちゃいちゃと仲むつまじい様子だが、もはやこの狩人たちはお互いを異性としては見ていなかった。言ってみれば姉弟愛のようなものであり、それは倶楽部の男女全体に通底するものである。であるからして、生徒会室は全くもって平和であった。未だ高々と新聞紙を広げている彼を除けば。
 「疲れたお姉さま方のために腕を磨いてるからね、なかなかいいでしょ」
美童は白い手で肩を叩き細い指でツボを押し、極楽気分とばかりにリラックスした表情の可憐に、その顔かわいいなあと囁く。彼は軽薄ではあったが努力家でもあった。愛する女性たちのためなら大抵の頑張りは惜しまない。対象がその一点だけでありながら複数形であるのが玉に瑕ではあったが、それは今更だ。
 「私、美童のそういう点については本当に感服いたします」
 「右に同じ」
野梨子が呆れたような、しかしやわらかい表情で言う。魅録も笑いながらそれに頷く。可憐の細い首のつけねを丁寧に指圧しながら美童は笑う。
 「ありがと、野梨子もかわいいよ」
おい俺は無視かよ、と魅録が口を挟む。途端に少し眉を寄せる野梨子にわざとらしく頭を下げる仕草をして、仕上げに軽く手のひら全体で可憐の背中を撫で叩いた。
 「はい、おしまい」
 「え、もう終わり?」
 「あんまりやると逆に痛くなっちゃうからね」
可憐が少し眠たそうな目で振り返ると、美童は軽くウェーブのかかった長い髪を撫でてやる。繰り返すが、当人たちにそういう意識はみじんもない。とはいえ男女の間でこれほど自然に友愛が築かれるのは、可憐の野心と美童の価値観が合うためでもあったし、美童が希代の女たらしでありながらどこか中性的な空気をまとっているせいもあっただろう。
 「野梨子もやろうか?」
 「ありがとう、でも私は構いませんわ」
同じく声をかけた野梨子に、今開いた文芸誌に目を通しながらにべもなく断られても、慣れた美童に気にするそぶりはない。恋愛への意識という点ではお互い全くの異界人である二人だが、美童は不思議と男嫌いにとっての「男」ではなかったし、野梨子は女好きが愛してやまない「女」ではなくてどこか不可侵な神秘性を持つものとして扱われていた。
 「魅録…は、いいか」
 「何でだよ」
呟けば即座に返る言葉に、美童は朗らかに笑う。一見して柄の悪い魅録と見た目だけならどこぞの王子のような美童、この二人も馬が合うようにはとても見えないが、実は案外と良好な関係である。メカ弄りとガールハント、分野はかけ離れているが、何か一つに関するスペシャリスト同士通ずるものがあるのか、いわゆる「連れ」のようなさっぱりしたものであった。
悠理もいらないだろうしなあ、と美童は一人つぶやいた。あの愛すべき野生児には肩こりなど無縁だし、たとえ今行われている補習で鉛筆を握らされていようと、ここに来るまでにどこかで暴れて、もとい走り回るか飛び回るかして、その窮屈さは発散させてしまうだろう。


と、そこで、今の今まで新聞を熟読していた彼が、ばさりと音立ててそれを置いた。そして美童がふとそちらに目をやると、左肩をぐりぐりと押さえてふうとため息をつく。よく見るとその頬には心なしかほんの少し赤みがさしていて、ああわかりやすい、と美童以外の面々は心中で唸った。ちなみにここにもしも悠理がいれば、美童と悠理以外の面々、ということになる。
 「あれ、清四郎肩こってる?」
一人それに気づかない美童はどこか楽しげに生徒会長の席へと歩み寄る。明らかにその言葉を待ちかまえていたに違いない清四郎は、そんなそぶりを見せることなく答えた。
 「まあ、それなりに」
 「よしよし、なら僕にお任せあれ」
 「素人のマッサージは逆効果なことが多いんですけどね」
 「いいから試してみろって。プロより気持ちいいって言われたことあるんだから」
どこかうきうきと清四郎の肩に手をかける美童と、美童の言葉にぴくりと眉を寄せる清四郎。そのなんともむず痒い光景に、勘弁してくれ、と魅録は小さく両手を挙げ、野梨子は我関せずと活字を追いながらも思わずため息を飲み、可憐は余所でやってよねえと思いながら軽くなった肩を回す。先ほどまでの美童と可憐のやりとりに対するほほえましい空気とは打って変わった彼らの反応は、つまり、そういうことであった。
 「もどかしい」
言ってしまえばこの一語に尽きる。彼らの生徒会長は、その明晰なる頭脳と百科事典のような知識とあざやかな身体能力と華麗なる腕っ節と腹の底が読めない笑顔と何癖も折り重なる性格に反して、なんともはやじれったい感情を、この金髪の美少年に対して沸々と抱いていた。しかも窓を開け放った生徒会室の空気を少しじっとりとさせる程度には重苦しい。それを何となく察した彼ら彼女らは、ひそりひそりと相談を交わした後、このまま見て見ぬふりをしてやることに決めたのだった。もちろん、気づいていないもう一人は全く気がつかないままであったし、悠理に話したら面倒なことになりそうだからやめておこう、という暗黙の了解もあった。彼女の行動は予測がつかない。
 「どう、どう?なかなかのもんでしょ」
 「ま、悪くはないです」
 「やっぱり」
美童は鼻歌交じりに清四郎の背中を肘で押す。清四郎は目を瞑ってうつむいたまま答える。額に流した黒髪の後れ毛が揺れる。その答えに満足したらしい美童は、更に気合いを入れて指圧を続ける。残りの面々はそちらをあまり見ないようにしながら、いたたまれない目線を交わし合う。
……なあ、俺なんか胃がシクシクしてきたわ、と魅録が腹をさする素振りをすれば、そんなことあたしに言われたって知らないわよ、清四郎に胃薬でももらえば?、と示すように可憐が眉を寄せながら向こうを指さす。冗談じゃねえよ、と魅録が首を横に振れば、野梨子がお茶を入れ直そうと優雅に席を立つ。
彼らは清四郎の気持ちをなんら嫌悪する気はなかったし、その不器用さをしょうがないなあと笑うだけの度量もあった。先述どおり女性陣も彼を異性というよりは時に怖ろしいけれども頼れる何かとして認識していたために、その発見に驚きはしたものの誰かが心を痛めることもなく、彼の感情自体はすんなりと皆に受け入れられた。ただ悲しいかな、このところ、彼が「愛だ恋だ」の点において非常に面倒くさいということがわかってきたのだ。そして美童はそんなこともつゆ知らず、のんきに清四郎の肩を揉んでいる。


 「思ってたよりは凝ってないかな、首の付け根はちょっと固いかも」
 「それなりと言ったはずですが」
 「ああ、でもやっぱり男の骨格っていうか体つきって女の子とはぜんぜん違うよね。力入れないとマッサージできないや。
  あ、野梨子、一年生の子にもらったケーキがあるよ。銀座の老舗の新作ですごい評判なんだって」
美童の一挙一動がいかに清四郎の心を突き刺すかということよりも、自分たちが置かれた息苦しい状況の方が彼らにとっては課題であった。それなら紅茶がいいと野梨子は用意を始め、美容の大敵でも食べなきゃやってられないわ、と可憐は野梨子を手伝いに行く。このまま座っていては、せっかく揉みほぐされた肩がまた凝り固まりそうだ。取り残された魅録は昨日読んだバイク雑誌を広げて、ひたすらに悠理の到着を待った。あの野生児がいればこんな空気もなんとかなるのだ。
 「清四郎の背中って広いなあ、背は僕の方が高いのにね」
 「軟弱者とは鍛え方がちがいます」
 「お前を基準にしたらみんな軟弱だよ」
 「で、お前はそれに輪をかけて弱い」
 「ひどいってば」
 「事実を言ったまでだ」
 「でも、それだけ鍛えて見苦しくならないんだからすごいよね」
 「闇雲に筋肉をつけるのが武術じゃありませんよ」
 「うわあ、もう僕さっぱりわかんない」
瞠目した彼と彼の耳元すぐそばで会話する美童がなぜ目の前の男の気持ちに気づかないのか不思議に思われたが、そもそも美童の恋愛に関する意識や機能やセンサーはすべて異性に対して注がれるものであり、だからそういえば男色趣味の人物に追いつめられたりしてもその寸前まで気がつかなかったことがあった。そして美童は清四郎を当然のように信頼していたから、それこそ全く考えの及ばぬところに清四郎の感情はあった。
これだけわかりやすいのに、と切り分けたケーキを黙々と食べながら可憐は小さく呻いた。こんな状況下でも上品な甘さが絶品であったから、すばらしい店だと野梨子は思った。魅録はとにかく紙面のバイクを目で追い続けた。このまま少しずつテーブルが長くなって向こうとどんどん離れたらいいのにな、と思いながら。
そんな停滞した空気が、ばたん、と開くドアの音で打ち破られた。


 「ああもう最悪だ!あいつらあたいをカンヅメにしやがって、今に見てろ!
  …れ?なんでみんな黙ってんの、どったの?」
荒々しい悠理の登場に、沈黙していた彼らはぱっと顔を上げてきらきらと目を輝かせた。そして、何でもない、何でもない!と笑って取り繕う。悠理は首をかしげながらも、すぐさま、ケーキ!と人の皿を見つめて手をぱんと合わせた。
 「遅かったね悠理」
 「普段から宿題を出さないからこういうことになるんですよ」
 「うっせーやい!美童、ケーキ!」
 「はいはい、まだ冷蔵庫にあるよね可憐」
やっと目を開けてこちらを見やる清四郎と、急に賑やかになった生徒会室に、皆はほっと胸をなで下ろす。可憐は大ぶりに切り分けたホールケーキを悠理の皿に載せてやり、野梨子は甘い紅茶を入れてやった。魅録はバイク雑誌を閉じて解放された喜びに浸る。
美童と悠理以外の誰もがそのとき、来てくれてありがとう、と思っていた。おそらく行き詰まる清四郎本人も。


 「そんなにきつい補習だったの?」
 「わかんない問題ばっか!」
 「後で見せてみ、理系は見てやれるから」
 「そんであいつらチャンスみたいにあたいのことばかにしやがって、腹立つ!」
 「はいはい、今度うさばらししましょうね」
 「ケーキうまい!」
 「良かったですわ、私が持ってきたのではありませんけど」
三人はがつがつとケーキにかぶりつく悠理を囲んで、まるで彼女が結界であるかのように言葉を交わした。あの二人を見るでもなく見守って肝を冷やすより、むかむかと腹を立てた悠理の愚痴を聞く方がいくらか生産的だ。
清四郎が特に何かをするわけではないが、美童と近づいたときに醸し出す雰囲気がだめなのだ。なんというか、その、置いていかれた子供のような、まがまがしい妖怪のような、そのくせおそらくそれを気づかぬふりして封じ込めようとしてできていない、やり過ごせない心地悪さが。可憐に言わせればそれは青二才のどうしようもない拙さであったし、野梨子にとってはいくらか見覚えのある、執着したものに対する幼なじみのうっとうしい一面であったし、魅録としてはきっぱりと腹をくくってくれたらどれだけ喜ばしいかという懸案だった。
魅録が幼い相手にするように茶色い癖っ毛頭を撫でてやると、悠理はそれに目を細めながら最後のひとくちを飲み込んだ。ご令嬢の舌にもかなう味だったようで、皿についたクリームまで意地汚く舐めるのを野梨子がたしなめる。
 「さて、こんなものかな」
美童の清四郎へのマッサージもようやく終わった。ようやくというのは彼らの主観で、実際には経って十数分程度なのだが。
 「そういや美童、なんで清四郎の肩なんか揉んでんの」
 「清四郎が肩こるって言うからさ、日頃の恩もなくはないし」
きょとんとした悠理の質問に、どこか胸を張って美童が返す。紅茶を飲み干す悠理が何かに思い当たる前に野梨子が口を開いた。
 「そういえば美童、まとめた会計結果の報告しましたの?」
 「あっ、いけない忘れてた!行ってくる」
手に取った紅茶のカップを置き、慌てて机に放られたファイルを確認して美童が部屋を出ていく。
 「では、僕たちは悠理の勉強でも見てやるとしますか」
 「待て美童、あたいもついてくぞ!」
清四郎がにこやかに悠理へと目を向けた途端、悠理は食後とは思えない速さで廊下を走っていった。全くもって扱いやすい、と他の面々は顔を見合わせて笑う。お腹痛くなるわよ、と可憐が呆れて呟いた。


 「で、清四郎。湿布はいりますの?」
 「あんまりやると逆に痛くなる、だそうよ」
またも打って変わった静けさの中、女性陣の冷ややかな声に清四郎は苦く笑う。元々、武道の心得からあまり疲れない姿勢を保つことのできる清四郎にマッサージをする必要などさほどない。
 「僕は断りましたよ、あいつが聞かなかっただけです」
珍しくとても稚拙な言い訳をする会長殿に一同はやれやれと心中で呟く。誰がいつ断ってたよ、と魅録は思う。あたしを羨ましがってるのもバレバレだったわよ、と可憐は思う。揉み返しで痛くなるとわかっていて遠回しにせがむのだから、全く気の引き方が幼稚だ。もっとも、この優秀な男に頼まれるとちょっと張り切るあちらも割と幼稚なのだが。
 「やせ我慢しない方がいいわよ、ほんの五分揉まれてこんなに効くんだから」
可憐はそう言って立ち上がると、救急箱を開けて入っていた湿布を清四郎へ放り投げた。それを受け取ったのを確認して野梨子が続ける。
 「その気持ち自体には何も思いませんけれど、あまり意識されて畏まられてはこちらが気まずいですわ」
 「何のことやらさっぱり」
 「とぼけんなっつの、あんだけブリザード振りまきやがって」
魅録は呟くように罵倒して、後の文句をシャットアウトするようにまた雑誌を広げた。未知の感情がもやもやと暴れているのは確かなくせに、色んな欲求が渦巻いているのが見え見えなくせに、未だにそれをきちんと自覚することすらためらっている清四郎は、ただの情けない臆病者にしか見えなかった。確かに美童は根っからの女好きで世界じゅうに恋人という女がいて自分に向けられる男色の気には嫌悪をあらわにするけども、…こう言えば美童には悪いかもしれないけど、お前だったら、お前がちゃんと全部伝えたらどうかわからないかもしれないのに。案外ほだされて、お前を見るかもしれないのに。俺にはそんな気全くないからわかんないけど、お前男にもてるんだろ?生かせよ。いらいらする。しかしそこまで伝える気は魅録にはなかった。
 「思い詰めて変なこと考えないでよ、あくまで平和的にしなさいね」
ぴしゃりと言う可憐に、反論しそこねた清四郎は力なく、勘違いですよ、と笑った。いつもの生徒会長様とは思えないその弱々しさに、一度腹の内をすべて吐露させるべきか、それともいっそもう一回和尚に鍛え直してもらうべきか、一同はしばし悩む。そして、この初恋もどきはどうしてこんなに面倒な形になったのだろうとため息をこぼした。



一方その頃。
 「なあ美童、なんか機嫌いいな?」
 「え、そう?」
とっとと教師にファイルを渡して、二人並んで歩く廊下で、悠理は美童に聞いた。確かに美童の顔はにこにことゆるんでいたし、白い頬は少し紅潮していた。
 「ふふふ、秘密」
 「なんだよ、さてはまたきれいな姉ちゃんつかまえたんだろ」
 「どうかなあ」
 「この女泣かせ!」
 「やめろよお」
歌でも歌いそうな浮かれぶりを悠理に肘でつつかれても美童は笑っている。その手にスケジュール帳はない。


- end -

2009-06


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