青糸



時めきを書き表した擬音がいま彼女の頭上で高らかに鳴り響いたのに気付かないのは、たぶんその目の前でうろたえたような見とれたような顔をしている奴だけだろうし、その場面を目撃したのはここに座って開けた本を読むでもなくぼうっと向こうを見てた僕だけだ。少女の意識が大転換する瞬間、ないし清らかな乙女が恋に落ちるその時、とも言い切れないか。彼と僕が知らないだけで彼女の中には前々からそんな心が芽生えていたかもしれない、今の紅潮もその端っこの発露だったかもしれない。ともかく最初の情動とは断定できなくとも、彼らの始まりにおいてはそれなりに重大なところに立ち会ってしまったらしい僕としては、まぬけな彼がその事実に気づいたら惜しみなく祝福の拍手を贈ってやりたいと思う。けれど、あの女の子には本来の意味での照れ隠しをする心が芽生えてしまったみたいだから、それはもう少し先の話になりそうだった。今はひとりぽつんとたたずむ羽目になって、動揺した目でこっちを振り返ってくる奴に苦笑を返すだけで終わる。困りきった少女が走り去ってしまうと二人だけの図書室は妙にがらんとしていた。
( 恋をした少年と愛すべき少女にせめてもの幸福を、知ってる彼と僕の小指を結ぶ糸など撚ってあるはずもないことくらい )


 「残念だったね」
 「うっせ」
ふらつく足取りで図書当番の机に戻ってきた彼に軽い同情の言葉。直情型の彼は面白がったものと受け止めたようだった。一部正解だったし、一部不正解だ。頭の中で言葉を続ける。残念だったね、一番欲しがってるものがすでに与えられてることにまだ気づけなくて。それはすべて推測だけど、彼女のおおまかな心情だけならどんな鈍感だって傍目には拝察できた。泣きそうな顔で突掛かってきても無意味だよ。本当のことを僕の口から教えるべきじゃないことくらいは、そう野暮でもないから知っている。
 「…久藤、なんか話しろ」
 「泣きたいんだ」
 「ちげーよ」
悄気返る彼に本を閉じてそれとなく向き直る。頭の中の覚書を繰って、さて今日は何の話をしよう。ストックは沢山ある。なんせ授業中は退屈でしかたなくて、それでもできることといえば本を読むことと話を練ることと眠ることと彼を見ることだけだ。それは全部不毛といえば不毛だったし、有意義といえば有意義だった。明日には全部いやでたまらなくなるかもしれないし、けれど、そうなったところで好きでしかたないままだろうとも思えた。さておき今日はどうしよう。今日思いついた不思議な森の話をしようか、それともこの前現代風に仕立てた人情噺でも下ろそうか。考えているとこころなしか顔や首があたたまっていく。比較的に遅い初恋は悲しいくらいにちゃちでうるわしい。ばかみたいに小さいけどこれが日々の至福だった。
 「何なら、取り持ってあげるよ」
不意に思いついた茶化しのようにそれとなく提案する。僕の顔はたぶんこらえきれなくて笑っていた。いらねえよと吠えた彼をはいはいといなす。ああ本当に僕は青い。嘘みたいだけどこの笑みに込めるありきたりな毒の持ち合わせなんてない。こんな奴が人を好きになるべきじゃないね。でも何を言われてもこれがただ本心だ。
さっさと二人でしあわせになってしまえ。( でもあともうすこし僕の隣にいてください )



( 何の話をするかを決める時間が好きです、そうだ今日は僕が一番気に入ってる話をしようか。そして今日も君が泣き出すまでのあと五分を僕は丁寧に数えてしまう )




僕は青糸、きみたちがすき

- end -

2008-03


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