秋寒




電車を降りて徒歩少し遠め、いっしょに箱からはきだされた人たちと、並ぶようで並ばないふうに歩き出す。目的地もやっぱりハコだ。灰色で、なかなか僕には居心地がいい。いつからだろう、本がいっぱいある以外に楽しみを見つけたのって。
早朝の肌寒さを感じながら、ああ秋だなと思った。夏の馬鹿みたいな暑さも消えていって、過ごしやすい冷えがまいりました。いつよりもさびしい本の良さが増す、ほんとうに読書ぐるいにはありがたい時期。
そんなことを考えながら、きゃあきゃあと楽しそうな通学風景の中を流れるままに歩く。女の子たちはあのレトロな制服をよくも今ふうに着崩すものだ。担任が文化系と称すクラスメートたちにはあんまりそういう子がいないから、何だか少し新鮮な気分になる。
喧噪を眺めるのも手持ち無沙汰で、だだっぴろい空を見つめた。今からだんだんと冷えていく季節だろう。このくらいの空が一番好きだなあ。夏の青を割って割って、薄まった色水を流し込んだような、そういう色。澄み渡る、なんて古くて安いかな。
そんなことを思いながら浮かぶ情景に目を閉じた。
 「はよ、久藤!」
淡く書き出しが浮かんだとき、ちょうどよく肩をたたかれる。はっとなって振り向いたら笑われて、朝っぱらから心音が早くなった。
 「…おはよう」
 「また話つくってたんだろ」
にやにや笑って歩き出す隣についていく。木野とこの時間に出くわすのはちょっと珍しい。駅に着いてもちょっと余裕のある電車に乗るのは、寝坊がちな僕には不利だ。早くも寒いのか、木野は首に薄手のマフラーを巻きつけていた。嘘みたいにあざやかな紫が半分、金色に墨を落としたみたいな豹柄が半分。うん、まあ木野だし。というか、あの喜劇的なセンスからすれば、まだ地味なほうか。
 「なあ、ずっとぼけっと空見てるから、女の子が怪しんで通ってったの気づいてるか?」
 「…見つけてたんならすぐに声かけてくれないかな」
いじわるな釣り目が見上げてくる。横に流れた跳ね髪がおかしそうに揺れた。木野の猫みたいな目だと、変な服も妙に似合うからふしぎだ。
 「言っとくけど、そのマフラーもさっきから皆に見られてるよ」
 「これ?しゃれてるだろ」
 「木野のお洒落は僕には上等すぎるかな」
 「馬鹿にしてんな」
安くてあったかくていいんだぜ、とおばさんみたいなことを言って、おばさんみたいなマフラーの端っこを振った。たぶん1と9と8のならぶ歯切れの悪さをつけて置いてあったんだろう。
 「まあ一番よかったのはやっぱり色だけどな。
  買ったときいい柄があってさ、どっちにするか迷った」
 「どんなの?」
 「こう…こけしの顔が」
 「やっぱりいいや」
 「なんだよ」
そのはじまりだとどう考えても不吉な柄しか浮かばない。木野の民芸品プリントシリーズが増えなくてよかった。趣味に統一性がない悪趣味だからタチが悪い。乙女チックとマダムチックと安い映画を織り混ぜたら木野ができるのだろうか。もうちょっと複雑な気もする。
 「やっぱ服には幼稚で芸がないんだよな、久藤は。ペンギンとかモノクロとか、三年着てるトレーナーとか」
お洒落の話をさえぎったから少々気分を害したようだ。ポケットに手をつっこんで背を丸めて歩いていると、猫っぽさが増す。
 「転んだら危ないよ」
 「ころばねえよ」
おざなりな注意におざなりな反発。横顔を盗み見ると、わかりやすくむっつりしていた。いいなあ、素直に顔に出て。また馬鹿にしてるだろって言われるだろうけど、こっちは結構なところ本気で言っている。僕は子どもらしいかわいげのないまま、大人っぽいねの釣り合うあたりまで来て、そこでもう止まってしまった感じだから。特に理由もなくこれが性分だから仕方がないんだけど、少し寂しい気もする。じべたでじたばた駄々をこねたりも、聞き分けなく泣いたりもしないまま、いつのまにかこんなに背丈は伸びてしまったことが。…ああ、この言い方は揚げ足に八つ当たりをされてしまうな。こちらとしては比喩表現に近いものなんだけど。


 「あ、すずめ」
視線と意識を前方に戻すと、ななめ上を横切る電線に雀が何羽かとまっていた。思わずつぶやくと、木野がぱっと顔を上げた。そのままぽかんと電線を見上げる。こうして目にとまったものを共有できるのはなんとなく嬉しい。
 「そろそろふくれだす頃かな」
 「え?ふくれんの、すずめって」
 「羽毛がね。冬を越すから」
なんとものんきな会話だなあと思う。まわりの喧噪から漏れ聞こえる声たちは安い棘に充ちていて、少なくともこんなに牧歌的ではなさそうだ。こういう他愛なさすぎる話を馬鹿にもしないで気安くできるのは、この友人の美点な気がした。
 「古典とかだとよく…」
けほん、と声につられて出てきたような咳が出た。乾いてるからかな、と喉をさする。喋るときはよく喋り黙るときはずっと黙る僕の喉は荒れやすい。のど飴まだあったかな、と思ったときだった。
 「風邪か?ほら」
立ち止まった隣を振り向いてみれば、ふうわりと首に巻かれる金、豹、紫。笑顔が近い。
 「あ…いや、あの」
 「何だ?気にすんなよ、あったかいだろ?」
ぐるぐると丈の長いマフラーは巻きついていく。色合いはどぎついけれど本当にあたたかくてやわらかかった。木野は、よし、と僕の肩を叩いて満足そうに笑うと、先に歩き出す。その背中についていく。風がいやに冷たくてきもちいい。ああ今は言い訳がきくかとぼんやり思う。朝方の喧噪がこんなにも気にならなくなってしまうのは、木野の趣味が人々をモーゼのように割るからってだけじゃない。木野のやさしさが厄介なほど不意を突くからってだけでもない。
角を曲がる、そろそろ学校の前だ。始業のベルはもう少し遠い。
 「あ、そうだ。さっきの話」
仕返しみたいに出し抜けに言うと、ぎょっとした顔をされた。やっと頬が冷めてきた僕は笑う。
 「…なんだよ」
竦んだように興味があるように真っ黒い目が瞬く。なんにせよ彼は僕の一番の読者になる比率が高い。それがどんな意味かなんて知ってもらえなくてかまわない。
 「だいたい組み上がったんだけど、聞いてくれる?」
言ってからもう少し筋を直して、それをそのまま声に出す。この空みたいな薄まった思いを含んだお話をした。そんな頼りない重みでは、やっぱりまぎれてしまったみたいだ。水で割りすぎて甘い毒は消えていく。僕にも、木野の涙くらいの塩っぱさがあったらな。




青い青い秋のことでした

- end -

2008-11


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