甘い匂い



 「おまえの頭、何入ってんの」
なんて木野が言う。
 「材料や重さは君と同じだと思うけど」
と僕は言う。ちげえよ、と木野がじとりと睨んで、ちがうね、と僕がうすく笑う。
これでこの一連はおしまい。それは決まって僕が思いついたお話を話し終えた後になる。たいてい木野はだらだら泣いている。それから、お前卑怯だとかつぶやく。僕はどうしたらいいのかよくわからないのでただ笑顔でいる。
作った話で泣いてもらえるのはうれしい。喜ばしいことだと素直に思う。いつだったかの僕がどこかで持て余した感情は、今、誰かの心に受け止められたのだと。
まあ、それでも僕がなにかを捨てているのには変わりないのだけど。そしてたぶんそれがなかなか大事なものだということも、きっと。

ぐす、と鼻をすする音がする。木野はがしがしと顔を拭う。丸まったティッシュをくずかごに放る姿に、僕はちょっと心配になる。目、腫れるんじゃないかなあ。うかがった目元は少し赤い。
 「腹へった」
口ん中しょっぱい、まずい、と出し抜けに木野が言いだす。僕ははいはいと言って鞄をあさり適当なお八つをあげる。なんだか犬猫への餌付けのような、子どもへの対応のような感じがして、ぼくはつい笑ってしまう。しかし、木野はプライドが高いわりにこういうところは素直だ。もらえるものはためらわずにもらう。なんだかおもしろい。ふいに近所の猫を思い出した。どこかの飼い猫のわりにふらりと庭へ通ってくるのだ。だしがらのにぼしが好きらしい。質素だ。
 「おまえの鞄の中、なんでいっつも甘いもん入ってんの」
木野が言って、僕はちょっと悩む。
 「…頭使うからかなあ」
何だそれ、と木野が眉間にしわを寄せて笑う。僕はうっすらとした笑顔を返す。
 「甘いもの好きだし」
 「ふーん…なんかこれ食うの久しぶり」
人に聞いておいて無関心そうに木野は流した。いつものことだ。薄い紙をぺりぺり剥がす白い指先を見る。剥がした紙を丸めてポケットへ入れると、こちらに箱を向けた。
 「久藤もいる?」
 「んー、今はいい」
そっか、と箱をポケットに入れてしまう。丸々あげたわけじゃないんだけどな。まあいいか、そもそもがなんだか恒例になってしまったから買っているようなものだし。なんて本当のこと、なにもうそ話をしたあとに話す必要はない。あげたいから常備するなんて、ほんとに犬猫への餌付けと一緒じゃないだろうか。
 「あまい」
そうだろうね、と雑な相槌を打って、思い出したように委員日誌を開けてみた。しかし、並ぶゼロ以外に特に記入欄に書くべきことはなかった。利用者を増やす試みはことごとく滑っていて、図書室にはたいてい委員しかいない。
 「こら、飲食禁止ですよ」
ああ、今日は顧問がいたんだった。
 「…少しはわたしを気にするものではないですか」
さっきから思っていましたが、と眼鏡を直しながらこちらを見る担任。ああと曖昧に笑ってみる。書架の間に潜むようにしているものだから気にとめていなかったのだが。
 「存在に気がついていなかったとか言わないでしょうね」
 「そんなことないですよ」
面倒くさがりの先生は、まあいいですけど、と言って、手元の本に目を戻す。

つんつんと隣から肘がきた。その呼びかけは古くないかな、と応える間もなく、耳元に声が寄せられる。
 「先生、目ぇ赤い」
あの物語の聞き手がこっそりもう一人いたのだ、となんとも可笑しそうに目の赤い木野が言う。僕は正直そんなことどうでもよくて、ただ自分の垂れ気味の目が必要以上に開いてしまっていないかだとか、何より顔が火照ってしまっていないかとか、ああそれはどうにかごまかせるかとか、もっとどうしようもなく露骨に生理的な問題だとかに、すごくよく気をつかった。
 「…ああ、そう」
ぎこちなく体を離して、息を細く長く吐いて、昔読んだ恐怖小説の一番の見せ場を引っ張り出してきたら落ち着いた。遠のく内緒話も笑い声も、すごくすごく甘かった。今日の鞄の中味はキャラメル。
…ねえ、ぼくを淡泊とか人間味がないとか言うけど、人並みにそういうものがあったら、今頃どうなっていたと思う?
自らの臆病さへの苦笑と理性への自戒を込めて、けれど今は無防備に体温を感じさせてもらえたらもうそれでいいとも思えた。
それからは何事もなく図書室を閉める時間になった。日誌を閉じると、合図もなく二人でがたがたと立ち上がる。おつかれさまでした、と顧問が言う。先生さようなら、と言って戸を閉める直前、少し眼鏡の奥の目が笑った気がした。




甘い甘い甘いでも好き

- end -

2008-11


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