ヒイラギの夜



12月某日だというのに俺が久藤の家にいるのはあいつが何やらご馳走してくれると言ったからで決して加賀に申し訳なさそうに断られたからではない。付け加えるとその後走って逃げられたなんてこともない。というわけで心ばかりの手土産として苺のホールケーキを持参してずかずか来てみたのだがそうしたら敵もさるもので、リビングルームの背の低いテーブルには鶏のハーブ焼きとか小洒落たサラダとかトマトソースのパスタとかパイで蓋したシチューだとかのわざとらしいほどにクリスマスな料理が並べられていた。立ち上る湯気からは泣きたいくらいにいい匂いがしていた。卑怯だと思う。それらをがつがつ食ってしまってだらりとソファーの前面にもたれかかってみると虚しいほどに満足だった。文句なしに旨かったんだから仕方がない。ちなみに割と当然のことかもしれないが久藤の親御さんは留守で、つまり男二人でこんなにも聖夜ってしまっているわけだが、意外とそこまで悲しくないのは相手が久藤だからだろう。とか何でそう思ってしまってあっさり認めてしまえるのかは自分でもよくわからない。やばいのかもしれない。


そしてその久藤はまだ自分の手料理をフォークでつつき回しながらさほど面白くもなさそうにテレビを見ている。画面の中では若い女が聞き飽きたような新曲を歌っていた。向かいに座る横顔はさっきからずっと動かない。その整いっぷりに内心もはや呆れながら、なあ、と声をかけてみると、宝石を埋め込んだみたいな目がついとこっちを向いた。俺はいつまでこういう瞬間にこっそりまごついていればいいのだろう。というかどうして男の顔にこんなにごてごてきれいだ何だと付けてるんだろうな俺は。まったく謎だ。いや負けてはないと思ってるんだけど。ソファーにもたれたままじろじろ顔を見上げていたら久藤が俺の心中はたぶん察していないだろう様子で首をかしげた。ああそうだ、と俺は言葉を探してみたが結局一言にしかならなかった。
 「旨かった」
 「そう?」
それはよかった、と久藤は返した。長いまつげが静かに瞬く。実際こいつの作る飯は意味がわからないくらい旨い。今日のだってもう一回全部目の前に置かれても食ってしまえるんじゃないかと思う。穏やかで賢くて男前なくせに料理までこれだけできるんだからまったく嫌味な奴だ。いや性格には多少難を見つけないでもないけども。そんなことを考えていたら奴は完全に手は止まってしまっていて、料理はまだかなりなところ余っていた。もう冷めちゃってんじゃねえのかな、と俺は並ぶ皿をちらりと見た。
 「残ったのは明日食べるから大丈夫」
 「…あっそ」
それに気づいてか奴が笑いかけてきた。俺はむっつりと黙る。別に残すんなら分捕って食ってやろうってほど意地汚くはない。わかってんのかこいつ。そのうちに久藤は皿にラップをかけて冷蔵庫にしまいに行ってしまった。ケーキの白い箱だけがぽつんと残される。起きあがって今度は机に伏せかかりながら、食えるのか、と俺はぼんやり思った。なんか今日はいつも以上に食欲がなさそうだ。自分ではさほど食べないのに人には振る舞うなんて妙にあいつが作る話の甲斐甲斐しい生き物たちに似ていて俺はどこか不意に悲しかった。ばかげてるなあとは自覚している。でも今日の夜の何に感化されてるのか知らないけど、のほほんとしてるくせに冷たいあの食えない奴の本当の本当は、ひょっとするとそうなんじゃないかってどうにも思ってしまうのだ。


 「泣いてるの?」
久藤はグラス二つとボトル一本抱えて戻ってきてそう言った。表情はやっぱり淡々としている。泣いてねえよ、と俺は顔を上げてつぶやいた。事実一粒たりとも涙は落ちていないし、目がうるんですらいない。むしろ乾いている。こいつといるときはだいたい泣いたりするのになとか考える。ばかみたいに悲しい話でばかみたいに悲しむのは嫌だけど嫌いじゃない。わんわん泣いて怒ったらあいつはちょっとだけ楽しそうに呆れ笑いをする。もしくはあまりそれとはわからないような照れ笑いをする。わからないと思って。
 「泣いてねえけど、泣きたくもなるだろ」
 「ああ、まあね」
ぼそりと続けると久藤はうっすら得心顔で笑った。汚れた皿を押しやってグラスとボトルをテーブルに置く。俺はじろりと睨みつける。まだ何も言ってないじゃないと久藤がくすくす笑う。うるせえと俺はそっぽを向く。じんわりとどこかが温もる。つけっぱなしのテレビの中ではきらきら光り輝く白い煙の中で皆が歌ったり踊ったりしている。心地よく暖房のきいたリビングは外の寒さから隔たっている。まったくもって平穏だ。
 「年明けたらさ、どっか誘えば?」
 「もう俺にそんなチャレンジ精神残ってない」
 「そんなこと言ってないで電話してみなよ、押し気味で熱烈すぎない程度に」
 「どうしろってんだよ」
久藤は瓶の栓を抜きにかかりながら適当なことを言う。というかもしかしなくてもこれは酒だろうと思ってラベルを睨むと、どっこいシャンメリーだった。芸人だったら転けてるところだ。どこまでこだわるんだこいつ。じとりとした目線を久藤の顔に移すと、奴はあっけらかんとこう言ってのけた。
 「いいじゃない、クリスマスなんだから」
どこまでも爽やかじみて笑う。どう考えてもただ単におもしろがっている。いい性格してるよなと改めて思った。ぽんといい音を立てて蓋が開く。開け方が上手いのかこぼれない。俺はもうどうでもよくなってきて、気が抜けたように笑って自分のグラスを突き出した。さっきの悲しさなんかどこにもなくなっていた。


ケーキも切り分けて黙々と食う。スポンジが結構甘くていい。甘ったるい生クリームと酸っぱい苺をばくばく飲み込む。そこまでの味ではないけどこれはこれで浮かれ気分になれて楽しいのである。ぐいぐい注いでごくごく飲む。久しぶりに飲んだけどしゅわしゅわ言って甘いのは結構今でも好きだった。少しばかり癪だがこれはなんかいい。ずっとそわそわして待っていられた子供の頃のこの日みたいだ。もちろん料理はあれほど豪華じゃなかったけど。せいぜいオムライスとかハンバーグとかだったかなあ。思い返しながらちらりと久藤を見やるとやっぱりそんなには進んでいなかった。瓶のラベルを読みながらちびちび飲んでいる。そんなとこまで読まないと気が済まないのか。急に引き戻された気分だ。
 「無理すんなよ」
フォークで皿を示すと奴はこちらを見て曖昧に笑った。ああもう食う気ねえな、と判断しながらまあいいかと食べ進める。ちなみに俺はもう二つめを食べ終えかけている。メリークリスマスが書かれたチョコとプラスチックのサンタ人形は押し付け合いの後に久藤の皿に載っていた。チョコの方は申し訳程度にひとかじりしたらしく半欠けになっている。しかし今更だがこいつは何を思って俺を呼んだんだろう。そりゃあなかなかいい感じの友人関係は築けているとは思ってるけど。でも普通こんな夜に料理を作ってやる相手として友達を選ぶ男はそうはいないのではないか。傷心をなぐさめるふりもせずにからかうのだとしてもだ。聞いてみるのはちょっと気恥ずかしい質問だよなと思いつつ、三切れめのケーキを皿にがばっと乗せながら聞いた。要は勢いだ。
 「つか、何で俺誘ったの」
 「寂しいかと思って」
久藤は上機嫌に言う。間髪入れない返答に、俺は怒る気力すら萎えながらああそうですかと返す。予想通りもてあそばれていた。苺の酸っぱさが増したような気がする。これでも昔よりは甘くなったんですって冬の苺、へえそうなの。俺の乾いた反応がおもしろかったのか久藤は笑う。楽しそうで何よりだよと俺はグラスの中味を口に流し込む。苦くないのに苦いという不思議。これが大人になるってことなんだろうか、まだ酒飲めないけど。液晶の中のライブ中継はそろそろエンディングだと叫んでいる。ステージいっぱいにどさどさ紙吹雪が舞う。掃除が大変そうだ。久藤を横目で見るとケーキをつつきながら穏やかな目をしている。ふと思いついて言ってみた。もう一度ふにゃふにゃ笑ってしまった。
 「本日はお招きありがとう」
皮肉でも何でもないことは言わないでおこうと思った。あまりにも恥ずかしいだろう。久藤はこっちを見て一瞬目をきょとんとさせてから思いがけず素直に笑った。逆にこっちが驚いてしまいながら薄々わかってしまう。なんだよ、やっぱ寂しかったのってお前の方なんじゃねえか。だからこんな冗談めかしてもてなしてくれたんだろ、いつだかお前が話した森の奥の城に住んでる白い兎みたいにだ。何で寂しいのかは知らないしそんなこと聞く気もないけど、まあともかくそれならそうでこうだ。
 「うわっ」
身を乗り出して手を伸ばして頭をぐしゃぐしゃに撫でる。ぴょんぴょん跳ねた髪は硬い。うろたえる顔がおかしくて思わず笑ってやった。あの造りの端正な目が怖くもなんともなくこっちを睨む。そりゃあ誰だってひっそりにやつくだろうと思う。これはいわゆる形勢逆転というやつだ。下克上とまで言ってしまうと普段の俺がかわいそうすぎるのでやめておく。ひとしきり頭を撫でてから頬をぺしぺし叩く。あたたかくて白くてなめらかでどこか固かった。俺の胸だか心だかがなんとなくゆらゆらした。久藤はたまらず笑ってしまったような顔をした。今まで見た中で一番許されているなんて形容したいような顔だった。
 「酔ってるの?」
 「酔ってる」
久藤が尋ねて俺は答えた。二人でげらげら笑う。楽しくておもしろくておかしい。テレビでは紙吹雪が降っている。久藤の分のケーキはさっき取り落としたフォークで崩れて苺が埋もれている。きっと今夜は星なんか出てなくておそろしく寒いだろう。窓の外はどこまでも黒くて部屋の中はいつまでも明るい。いっそ抱きしめてやろうかと思ったけどさすがにそれはやめた。代わりにまた頭をぽんぽん叩いたら久藤はくすぐったそうに笑った。髪の間からのぞく耳が白い。あの兎の話のオチは思い出さないでおくことにした。目なんか赤くないけど、兎はここにいるのだ。




明るくて騒がしくて、…

- end -

2009-12


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