みている




待合室の本棚に動物図鑑が増えていた。まだ読んだことのなさそうなものだった。いつ買ったんだろう。糸色医院へ来るのはかれこれ三日ぶりで、日曜日を挟んだから一昨日だろうか。心おどらせながら表紙に猛獣たちが鎮座する分厚い図鑑を手にとると、片手では持てないくらい重たい。よいしょと体勢を変えて、ソファーに反対向きに膝をついて背もたれに本を置いて支える。半端に脱げたスリッパの片方がぱたんと床に落ちた。腕を怪我してなくてよかった。ふくらはぎ辺りの怪我はひっかかれたくらいで軽めだから、今日は経過を見て包帯をとりかえるだけ。

ページの半分くらいのところをおもむろに開くと、シベリアの辺りに生息する狼の写真と解説がでかでかと載っていた。けぶる息を車のように吐いていて、しっぽは複雑に黒っぽくて大きくてふさふさだ。うっとりする。紙面じゃなくて実物を見たいしさわりたい。手触りはきっとごわごわのばさばさのざくざくで、獣の象徴の酷くきついにおいがするのだろう。一瞬掴んだと思ったらすぐにぞわりとすりぬけて、すばやくこちらを向いて頭からがぶりと食べられてしまうかもしれない。肉食だ。ふふふ、と息をするように笑う。今のわたしは変な漫画を読んでるときの晴美ちゃんとか、革命家の肖像を見つめているときの千里ちゃんとか、料理店のガイドブックを眺めている奈美ちゃんとか、そういう顔に近いような気はする。ぞっとしない話。


 「こら、怪我人がそんな姿勢でいるんじゃない」
楽しくてつい読みふけっていたら、そんな声と一緒に背後からぬっと影が落ちた。振り向くと苦々しい顔をした主治医が立っている。なかなか診察室に来ないと思ったらこれだ、と先生はつぶやいた。受付の看護婦さん(今は看護士さんと呼ぶらしいけど私はこっちの呼び方の方が好きだ)がくすくす笑ってこちらを見ている。一人しかいない医者がふらふら診察室から出てきても不都合がないのは、平たく言うとこの医院が流行っていないからだった。縁起の悪い名前だとか聞こえの悪い噂だとか、それは置いておいて、少し頼りなさそうに見えるこの先生は案外名医だと私は思うのに。だけど以前そう言ったら命先生は、「名医」に「案外」なんてつけないでほしいものだと眉を寄せた。思った通り藪医者よりは良くないですか、と言ったら、むっつりと黙り込んでカルテの端っこでこづかれてしまった。ちょうど怪我はしていないところだったのでよかった。今日も待合室には私以外の患者はいなくてがらんとしている。それでもだいたい毎日開いているので、律儀だなあと常連ながら思う。

 「読むのは診療してからだ」
 「あ…」
命先生は大きな白い手でむずっと図鑑をさらってしまうと、小脇に抱えて診察室へ入ってしまった。ひどい、まだ狼の群れがどう成り立っているかに関するコラムを半分しか読んでいないのに。別に知ってはいるけれど、小さなカットの写真が雄々しいしっぽ具合だった。慌ててスリッパを履き直しながらソファから降りて、だけど走らないようにして後を追う。転ばないようにもした。床はいつでもすべすべして清潔だ。ドアから顔を覗かせて、せんせい、と呟くと、もう椅子に腰掛けていた命先生は苦くはなくなった顔を上げた。要はただの無表情だ。それなのになんだか優しさを感じるのは、お医者様だからだろうか。女子にしては背の高いわたしより頭ひとつも高い目線の先生が、背もたれのついたくるくる回る椅子に座ってしまうと思ったより小さくなる。足が長いということか。嫌味だなあ。
 「何、ぼうっとしてるんだ?そんなに図鑑が気になるのか」
 「ああ、いえ」
怪訝そうになった先生に首を振って、入り口側に控えるなじみの看護婦さんと会釈を交わし、向かいに置かれたもう一つの椅子に座る。くるくるするけど背もたれのない椅子だ。目線が同じになるとやっぱり先生は小さくない。わたしの足も長いと言っていいということなのだろうか。背が高いのがいやだった頃は過ぎて、今ではなんとなく気に入っている。機動力を誇るにはどんくさいから少し悲しいけど。図鑑は灰色の机の上にぽんと置かれている。隣にはシンプルなコーヒーカップがあって、奥には書類や本やファイルが並べてある。命先生はカルテを手にとって何か書き入れてからキィと椅子を回して私に向き直った。

 「新しい傷もないし元気そうだね、具合はどうだ」
 「それほど痛くもないです。ちょっとひっかかれただけですから」
 「ライオンにな。電話口で聞いたときはどんな裂傷かと思ったよ」
 「いい子なんですよ、愛嬌があって。体は大きいのにじゃれ方も控えめだし」
 「控えめな傷にしてはひどかったと思うが、まあ見せなさい」

言われた通り足を出すと、包帯をほどいた先生は軽く足首を持って丁寧に傷口を見ていく。やっぱり他の古傷に比べれば全然浅いだろうに、と思いながら背中をかがめた先生のつむじを見つめた。丁寧に巻いたような形で、なんというか少しかわいい。ぽちっと押したいけれど変なつぼだった気がするのでいちおう我慢する。診てくれる医者を体調不良にさせるのもしのびない。頭の丸さと小ささとなめらかな輪郭のこまかな造形は、きっと人間としてだいぶすぐれた造りなのだろう。この一族は、とごく軽く嘆息する。割と安静にしていたので経過はいいと思ったのに、姿勢を起こした先生は少し眉を寄せていた。
 「さっきあの格好でどのくらい座ってた?」
 「少しの間ですよ、すぐに先生が出てきたから」
 「患部に体重をかけるなと言っただろう。治療の妨げになるなら図鑑はしまうぞ」
そんな台詞に不満げな顔をして見せる。どうせ半分包帯と眼帯に隠れて見えづらいのだけれど。だって自分で楽しそうなものを用意しておいて見せてくれないなんてあんまりだ。呆れ顔の先生はわざとらしくため息をついた。そんな顔をすると、せんせいに似てないようで、やっぱり似ているようで、変な感じがする。あのひとはあんまり年長者ぶった責任をもたない。むしろ全力で逃げるくせをして、こわごわうかがってきてうろたえる。手もさしのべるのを怖がって、おろおろと。

 「重たい本を買ったのが失敗だったな、今度から小さいサイズのものにしよう」
 「そんなの子供だましばっかりで迫力がありません」
 「じゃあ、いっそページをばらして数枚ずつの薄い本にするか」
 「もったいない、次どこをめくるかが楽しいのに」
 「どうすればいいんだ」
提案に反論していくと先生も不服そうな顔になってきた。へそを曲げてもう読ませてくれなくなったらいやだなあと思って、いまのうちにと机の上の図鑑に手を伸ばすと、大きな手のひらに阻まれた。ほどよく冷たい指で私の手をそっとつかんでやんわりと押し返す。いろいろな点でいらっときたので親指の付け根にがっと爪を食い込ませてひねる。皮膚のやわらかい水かきのあたりより少し軟骨っぽいところだ。
 「痛い痛い痛い」
小声ながら焦った様子でつぶやかれたので離す。先生は引っ込めた手をかばうようにしながらこちらをにらんだ。そこまで痛くしてないのに心外な話だ。本気だったらもっとこう、やぶける寸前くらいまでいける。けど医者の手をやぶくのもさすがにためらわれる。看護婦さんの笑う声が聞こえたので振り向くと、彼女はにっこり笑ってひらひら手を振って診察室を後にした。わたしは周囲にわからない程度に頬をあたたかくする。二人っきりになるわけで。

 「主治医をつねる患者なんて聞いたことがないぞ」
命先生は彼女の退出に気づいていないのか気にしていないのか不平を言い募る。不良患者だ、と言われたので高校生としては優等生ですと言い返す。素行や学業成績の問題ではないと口を曲げて、というかきみはいくら頭が賢くても言動からしてどうもその範疇には入らないとつけたされた。ひどい話だ。ラインバック達がかわいいのとか、父親などなどがむしょうにこっちを苛立たせるのが悪いのに。
 「こんなの暴力のうちに入りません、獣医さんなんか大変なんですよ暴れちゃって」
 「きみは犬猫と同レベルなのか、そうなのか」
 「しっぽがないので違います」

さぞや力が抜けるだろう言い合いに、先生がへなへなと頭をかかえたのでその隙に図鑑を引っ掴んで抱え込む。やっぱり膝がしびれるほど重たい。あ、と先生が顔を上げる。非難の目を受け流しながら適当に開くと猫科のページだった。ふかふかとふわふわとぎらぎらした眼差しのオンパレードだ。思わず顔がゆるむ。ああ、ヤマネコのお腹をなでてぐるぐる喉を鳴らさせて短めのしっぽをふにふにできたらどれだけ楽しいだろう。しっかりした肉球で嫌そうに頬を押し返されたりしたい。それより先に切り裂かれるだろうけれども。そうしたらどんな名医でも縫合できない感じになるだろうから親に泣かれそうだ。それはちょっと。
 「まだ診察は終わってないぞ、返しなさい」
 「読み終わったら返します」
 「たぶん読み終われないだろうそれは、何ページあると思ってるんだ」
椅子をきゅるっと回してそっぽを向きながら、そういえばまだ包帯も巻き直してないんだった、と白々しく思う。むきだしの怪我はあらかたふさがっていて少し変な色をしていてデコボコだ。こうやってどたばたしている分だと、診てもらう時間は普段よりも長くなりそうだった。日が沈んだらまた送っていってもらえるかな、と黄色い毛皮を夢想する傍らで考える。先生はお医者様なのに意外と小さい車を持っている。横目で見るととうとう何も言わずに頬杖をついていたのでもうあきらめたのかと思った。それはそれで一抹のさみしさを感じないでもなかった。


 「まったく、しょうがないな」
そう言って先生が立ち上がる気配がしたので顔を上げると、すぐ背後にそっと立たれていた。制服越しに白衣越しのかすかな体温を感じる。首がぴきりと固まってしまい、何が起こったのかよくわからなかったが、たぶん、後ろから覗き込まれているのだ。患者と用もなく背中越しに密着なんてしたらいけないのではないだろうかとひょろひょろ思う。ふわりと届く消毒の匂いと香水か何かの控えめないい匂いと私の顔のすぐ斜め後ろにあるだろう先生の顔の、目の気配。毛皮もなんにもない生き物のかたくて脆い体にくっつかれることはそうそうない。うろたえる間もなく私を抱き込めそうな手が伸びてきてまた図鑑を没収される。意外と力強いような右手が連れ去ってしまう。とんびにあぶらげだ。その間5秒がすごく長かった。

 「何がそこまでおもしろいのかはわからないが、うかつに与えた私の責任だからな」
抗議しようと思って振り向くと先生は不敵で優しげな微笑をほのぼのと浮かべていた。眼鏡と白衣の理知的とか言えそうな顔にすごくよく似合う表情で不覚にもときめいた。人間相手にはひどくにぶいわたしにそう思わせるんだからすごいんじゃないだろうか。切れ長で黒い目はやっぱり少しだけ柔らかくて鋭利なあのこたちに似ている。先生は図鑑を抱えてとっとと歩いていくと奥の長椅子に腰掛けて、おいで、と私を手招きした。なんだろうと思ってそちらへ向かうと、自分の隣をぽんぽんと叩いてみせた。もしかしなくてもまさか。

 「先生、それは犯罪です」
 「んなっ!!?」
ぼそりとつぶやいた一言にショックを受けた様子の先生は青ざめた顔をしてから顔を赤くして固まった。本当は、反則です、と言ってしまいそうになったのだが、さすがにそれは気恥ずかしい。というかそもそもこの行為を提案されることが本来は気恥ずかしい。先生に図鑑を読んでもらう、父子の読み聞かせ的なことだろうけど、その発想が気恥ずかしい。照れて顔隠すところがさらに恥ずかしい。でもなんというか、かわいい。ぶっとい前足してぴゃあぴゃあ鳴くちびライオンみたい。座ってて目線が低いから。悩ましい。
 「患者の女子高生をソファには誘わないでしょう、いやらしい」
 「べ、別にやましい気持ちはない、断じてないぞ!」
断じてないのか、と軽いショックを受ける自分の意外性。それを冷静に感じてしまう自分の安定性。ゲッペルさんてこういうことか、とぼんやり思いながら、膝の上でも示されていたら殴っただろうか照れただろうかとふと首をかしげる。たぶん図鑑を奪い取ってそれで殴ってから気絶した先生の腹の上に遠慮なく座ったんじゃないか。そういう言動をしてツンデレというやつだと述べてみたら学校だと総つっこみを受けそうだ。あびるちゃんがデレるのは動物にだけだからねえ、ともこの前奈美ちゃんに言われた。がぜん不服だ。

 「どうだか。命先生だから割と許せますけど、他の人だったら告訴ですよ」
 「あまり友達の影響を受けるんじゃない!
  君が小学生のような言動をするから私もつられたんだ、どうかしてたな」
 「小学生?」
 「小学生だろう、だいたい子供でも待合室で本読みたいってごねたりしないぞ」
 「うるさいです」
目の前に座るその頭にべし、と強めに平手を振り下ろすとしばらく頭をおさえてから、そういうこともしない、と涙目で言った。右手に痺れるような痛みを残しながら、情けないなあ、と思っている私がちゃんと無表情だったかは眼帯と包帯で事なきを得た。断じて心ときめいてなどいない顔をしてしまうのも、それはそれでだめなんだろうけど。デレるってどうやるのって、今度聞いてみよう。


 「…いやあ、疲れてるなあ望もこのところ頻繁に来るし」
 「え」
半ば唐突に思えるほど、ごまかす早口でうろたえたまま先生が言った。わたしはそれに驚いて、そっぽを向いた顔をじっと見下ろす。おやというようにこっちを向いたので、目をそらす。のぞむ、望、という名前にじりっと心が騒いだ。脳裏に袴の後ろ姿が浮かぶ。どうして後ろ姿なんだろ、あの子じゃあるまいし。そうしてわたしはどうしてそれに何がしかを思わないんだろう。なんて、こないだ不意にわかったはずだったのに。

そうですか、と遅れて付け加えてから頭のなかでその背を追う。思いがけずぴょんぴょん跳ねた前髪のぶしょうな頭はさらりとはしていないし、世をすねて甘えているくせして妙に冷めた目は諦めて笑っている。一筋縄でいかない、人間の顔を、ふっと浮かべる。わたしの胸がむしょうにふつふつと沸く。俯くと眼鏡ごと前髪に隠れてしまう、あの表情のひとつひとつは容易に浮かぶのに、肝心のなにかは頭のなかに見あたらない。さっき帰りぎわに挨拶もしたのに、今日も頭かかえて道化て絶叫してたのに、それを見る目に、失くした。わかっているのにすごくこわかった。あの一時期の、自分を見失ったような鼓動と情熱と行動力は、夢見るような甘ったるさは、焦りと不可解になって尾っぽを消している。全力で猫を追っていたら財布を落とすような、違う、違う、もっと違う。あの人に言ったならコミカルの色もない冷笑をされる話だ。だから言ったでしょう、なんて。そしてわたしはまだそれには耐えられない、きっと。

 「なんだ、ここでも会うつもりか?学校で飽きるほど見てるだろう」
 「違います」
あたたかな苦笑いが心を刺して、たまらず即答で否定する。言葉のあやが刃物になる。それに気づいていない先生はしょうがないなあというように首をかしげた。ひっかかれた獣医さんと同じ目だ。どっちが動物でどっちが人間かもうわからない。最初から猫はわたしだったかもしれない。でも、ついさっきまで完璧な優位で遊んでいたのに、かぷりとじゃれつかれてしぬのと、似ている。毛皮の首筋にひんやりと注射を打たれるのも、似ている。
 「ああ、心配してもいないだろうが、元気だぞ。愚痴言って帰るだけだ」
 「でしょうね」
命先生の声に生返事をして床に目を落とす。わたしは何をすきなんだろ?わたしは誰を追っているんだ?面影なんて追う気はなくて、断じてきっと重ねてなくて、なのにあまりに部品が近い、ぐるぐる混ざってもうよくわからない。命先生は、目をかたくつぶって思い浮かべたら、くるくる回る椅子に座ってひっそりと笑っていた。目をひらいて顔を上げると、案の定、そんな顔で困っていた。

つきうごかされるようにその腰かけた人の横によろよろ膝をついて、みぞおちの辺りに頭を寄せてぎゅっと縋り付いた。布を握った手の下にあばら骨のかたさを感じる。こんな風に衝動的に動くのも、人間相手にはひさびさだった。目の前にあるのは四角い眼鏡、けれど見透かす、呆れる、目を、あの丸眼鏡を思い浮かべてしまった。腹の底が掴まれたようにちぢむ。そのくせあの人、わたしに情も移らなくてなんにも思うことはないんだ。来るものは拒むし去るものも追わない顔を、したいんじゃなくて、するのだ。わたしは、追放されていた。床にこすれて、ぶかぶかのスリッパがつま先で曲がる。
 「おい、こら、どうした、やめなさい男相手に、ほら」
焦りきって心配しきった声音で言って、先生がわたしの肩をじれて叩く。あくまで痛くないようにしている。太腿が呆然とこちらの体を受け止めている。こわばった胸に額をつけたら清潔で温和で包むような香りがした。女が白衣を掴む手なんかきっと引き離せるのに、しない。だからだめなんだ、と思ったところで大きな手があやすように背中をぽんぽんと撫でた。泣きたくなってしまった。わたしも両手で布地を強く掴む。にぎりこぶしに伝う体温がぬるい。おとうさんも、あのひとも、このひとも、わたしを揺らす。それぞれ違う方法で、なぐりたくする。


 「せんせいはこんなことしない」
たまらず呟いたら、先生が喉で苦く笑うのがじかに響いた。あ、ちがう、そうじゃないのに。そういう意味じゃないのに。けどそういう意味だったら、先生どう思うんですか。言葉がうまく見つからない。声が組み上がってこない。心からしっぽがほしい、こっちの本意も先生の真意もくみ取る必要なんてない、決定的に伝えて徹底的に傷つけてもらえるような、しっぽが。迷子の指を離されたような気分で白衣の先生に頬をすり寄せた。そうだ、さっき、誤解しちゃいますよって、言おうとして言い忘れた。やっぱりどんくさい。受け入れてくれてやさしくしちゃってなんとも思わせぶりな方が、慌てて逃げて遮断して両断するよりよっぽど残酷でした。

 「勉強ができても、こういうことはわからないんだな」
ぽつりとさびしそうに聞こえた声の読解なんて今のわたしにはできないから、ひびいてくらくらするぐらい頭突きをしてやった。そのままさめざめと泣くふりをして涙なんて二滴ほどしか垂れない。まあいいや、と開き直ったように目をつむる。悪かった、という咳と痛みのにじむ声が反響して心地いい。むきだしの患部がじくじくとにぶい。なだめてもらって処置をし直して、夜がとっぷりと暮れてから帰ることになるだろうことを、この期に及んでうれしく思ってしまうことが今は何よりの証拠だ、安心だ。やさしい人もやさしくない人も、わたしがわかってるってわかってない。傷口くらい滅裂だけど、身代わりにしたいなんかじゃないって、誓って言える、言えるんですよ。せんせい。




尾の振り方がわからないので

- end -

2010-10


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