薬の味ソーダ



訳のわからない飲み物を買うのが少し好きなんだもの、と奴は言ってのけた。自認されると立つ瀬がない。風鈴の揺れる窓、効きの悪いクーラー。着色料まみれでチープな装いのジュース。遠い異国の王子さまのように周囲に持て囃され続ける男が、日焼けした畳もけばだつ一階の狭い和室に寝起きしているだけで未だに意外なのに。だからたぶんお前の周囲は、十中八九お前をグラム結構な値段がする紅茶を正しい手順で入れて上品に飲んでる男だと解釈しているぞ。見かけるだけで目を輝かせる他クラスの女子たちとか、唯一の常識人あつかいしてくる級友たちとか。実際は自分ちで麦茶とか、俺ん家の安い番茶とか飲んで、こうしてよくわからない清涼飲料水をへらへら買ってくる男であるというのに。いや、へらへらはしないけど。こいつの笑顔はへらへらではないけど。にこにこ。きらきら。ああでも、やっぱりへらへら。ゆらゆら。久藤はゆったりとした動作でやはりどこか典雅にコップにジュースを注ぐ。あれみたい、カクテルをつくるバーテンダー。やっすい着色料のジュース。

 「美味い?」
 「いまひとつ」
 「だろうな」

こくりと白い喉が鳴ったのを見ながら尋ねる。そらそうだ、と思う返事がくる。砂糖水でも作って飲んでいたほうが、はずれのジュースより格段にましというのは常識だ。いったいどこの路地に設置してあるんだよっていう、不自然に安い自販機の、あまり見かけない飲料、かなりマイナーなメーカー。たとえば巨大企業との掛けられるコストの差とか、ただでさえカツカツで削った20円がどこに反映されるかとか。かしこい頭で理解していないはずはないのに、なぜか毎度毎度こいつはぽやぽやした顔で見たことのないパッケージのスープとか持ってきてカゴに入れる。まあまあ、って、何食ぶんなんだよそれは。誰が食うと思ってんだよ。俺とお前だ。主に俺だ。それは俺が黙々と啜る姿を見るに耐えかねて甘やかしたからだ。そもそもどうして示し合わせたように一緒に買い物にいってしまうのか。米にもあわない妙な後味のたべもの。眼前にたたずむ見るからに金のかかってないジュース。

 「まずいわけではないんだよ」
 「誰へのフォローだよ」
 「これに百円玉を投じてしまった自分の、かな」
 「その時点でもう味を否定してるからな」
 「まずくないよ」

まずくない、と繰り返しながら少しずつテーブルを進んでくる緑のペットボトル。容器までいささか安そうにぺこぺこへこむボトル。先ほど台所から運ばれて汗をかいているし冷たさだけは保証されている。天板に滴の跡がつたう。そいつをじりじり歩ませる、折れそうに細く伸びやかで硬い手指が案外しぶとく、存外ふざけてくるのは俺ばかりが知っている。しょーがねーな、キャップに人差し指のかかったボトルに手をのばすと喜色を足した白い頬に目線がかちあう。じっとりとだけ睨んでおく。掴みあげて開け、いかにもちゃちなコップに注ぐ。本当にこの家にあるものは本人と高い本と古い家財以外、高級感のかけらもない。拍子ぬけするぐらい俺の家と変わらない。注いでみるとさわさわ炭酸が立って、色ばかりはラベルのきらきらしい名前に合っていた。俺の趣味ではないけど。だが俺の趣味は食品に適用すると危ういということは、こいつではあるまいので知っている。食べ物だけは味覚で選ぶべきことを俺は輸入品のえげつない菓子でのたうったときに学んだ、惹かれるぐらい格好いいデザインだったんだけど、今でもそういうの見かけると欲しくはなるけど、あいにく食品を無駄にできない性分で。そうして涙をのんであきらめる俺の隣でひとっつも悟っていないのが、服や身の回りの趣味ばかり簡素で高尚なこいつだ。ああそういえば自分でつくる飯も上等に美味くて高級そうだっていうのに何が楽しくていつもこういう。このように俺ははじける泡を眺めながら逡巡あるいは詠嘆していたが、掛け値なしの美貌が面白そうに見つめてくるので腹を決めて手にとった。飲んだ。噴くほどでも喉が鳴るほどでもない。粉っぽくて薄いし薬品ぽく辛い。炎天下を走ったあとでも甘露にはできない味だ。俺の眉間の浅いしわを見て久藤は笑った。んんん。しぶい顔になったまま唸ると、いよいよ試みが成功したような顔になる。
「おいしくないでしょう?」

さらさらと輝く瞳。こいつがこんな仕様もない悪戯をすることを俺だけが、もういいか。案外そういう奴であるし案の定こういう奴であるし、幼い日に飲んだかぜ薬の味がするし、しゃわしゃわ蝉が鳴く。ひっかかったひっかかった、と心なしか僅かばかりぴょこぴょこ嬉しそうな顔をする久藤はまれに見るくらいキラキラしていてむかつく。「お前これまずかっただけだろ」「ん。でも」「なに」「お前にのませたかったんだ」そして笑顔。かすかなよろこび。みっしりと埋まった本棚で閉じた部屋に蝉とジュースのしゃわしゃわ。時雨のような昼。それだけでどうでもよくなったことを恥じたしかめっ面になったであろう俺に満足したらしい久藤が、ふつうにうまいのを知ってる菓子を寄越す。俺はなんであれいつもどうでもよくなる。ああもういいよ。いくらでもひっかかったふりをしてやるし、ひっかかってやったわけじゃない顔ぐらいは、できるよ。夏の思い出、じだらくな休みの潰し方。こういうことをしたかっただけなんだろ。おもいでをつくりたかっただけなんだろ。言わないでいてこう嘆く、「こないだ読んだ推理ものみてえ、毒ぐらいあきれて飲むぞ、俺」お前が笑って差し出してきたらの話。微かに驚いた微笑は無視する。なにより俺も、たぶん、こういうことが足りないでいるのは同じ。

なにかを見てかちりと思い出すなにか、よみがえる感覚によってたやすく呼び起こされる記憶。二人の記憶。うってつけなのは味覚だろう。けれど視覚でも、聴覚でも、なんでもいい。そういうスイッチ、良いフラッシュバックの設定を、できるかぎりつくりたがる顔をしたがらないのはお互い様。夏の同罪。いまを失うことがいつかくると、おそれたわけでもないけど、ただ目の前のこいつは、遠のき慣れてしまったようだから。こんなラベルどこで見るっていうんだろう。いつまであんのかな。案外長いのかもな。いつか目にする情景を考えては笑う。(そんときもできるかぎり近くにいたらいいと、俺は思うけど)、菓子を食う前に飲み干した薬は暑い空の味だ。







(二人、出来るだけ、二人)

- end -

2013-08


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