屋上ピクニック



昼を知らせるチャイムが鳴った。弁当片手に屋上へ上がったら、二時間目の体育から見かけなかった久藤がいた。思いっきり呆れ顔になった俺に気づきもせず、久藤は晴天の下で黙々と分厚い本を読んでいる。今日はいい陽気で、春なのに少し汗ばむぐらいだ。それでも久藤は温もったコンクリにあぐらをかき、本をめくる以外は微動だにしない。全く、見てるこっちが辟易するほどの活字中毒だ。
本が好きなのは分かる、軽度ながら読書好きとして少しは共感する。だが、そこまで没頭するのは健全な男子としてどこか逸れている気がした。青春を読書に捧げる気かお前は。
わざとらしく足音高くそちらへ歩いていくと、やっと久藤が顔を上げた。そのときちょうど強い風が吹いて、本の頁と俺と奴の髪をかきまぜて去っていった。

 


 「あれ、木野」
驚いたのかも驚いてないのかも、風に驚いたのか俺に驚いたのかもわかりづらい顔をして、久藤が言った。流れるような動作で本を閉じて脇に置く。図書室、と古めかしく印字されたシールが陽の光を受けて光った。
 「どうしたの」
 「どうしたのじゃねえよ、もう昼だぞ」
 「あれ、本当だ」
腕時計を確認して、今初めて時刻を把握しましたという顔をした久藤が、バシバシまつげの垂れ目を細めて笑う。本を読んでて時間を忘れたらしい。暢気な奴、という他愛ない感想が浮かんだ。
 「どこ行ってんのかと思ったらここかよ」
 「サボるのは体育だけのつもりだったんだけどね。数学ちょっとやばいし」
どこがやばいんだ、と俺は心の中で突っ込む。授業態度はお世辞にも良くない久藤は、しかしクラス内で二位三位の常連だ。本人は文系と言うし確かに理系より点数も高いが、その理系だってとてもじゃないが俺が取れるような点ではなかった。小説に出すにも陳腐なくらい、久藤はそつがない。
 「体育のがやばいだろお前、日数」
 「出ようとは思うんだけどね。今日は走るって聞いて、きついなって思ったら、つい」
眉根を寄せると、不服そうな顔と見たのか久藤がきょとんとした。まっすぐにこちらを見られるとなんとなく落ち着かなかった。妙に意図が掴めないその目のせいかもしれない。その所在なさを紛らわそうと、どっかりと向かいに座った。弁当を開けると、柵にもたれるように座り直した久藤が首を傾げる。
 「僕、お昼ないよ」
 「取ってこいよ」
 「いや、購買行くつもりだったから」
 「たぶんもう何も残ってねえぞ」
 「うん」
対して焦ってもいなさそうに言う。なんか腹が立った。まあいいかとそのまま涼しい顔して、飯も食わずにもう一回本を開きそうな雰囲気がしたから。


 「ほら」
弁当を突き出して、睨むように久藤を見る。久藤は、え、と言って一回瞬きをした。その色素の薄い目で俺と弁当を交互に見つめる。なんだか居心地の悪さが増した。
 「半分やる」
 「いいの?助かるけど」
 「いーよ」
 「木野、足りる?」
言葉に詰まった俺に、久藤が笑う。その顔やめろ、負けた気がするから。いーよ、食えともう一回繰り返して箸を渡すと、久藤は手を合わせて言った。
 「ありがとう。じゃ、帰りに何か奢るね」
 「忘れんなよ」
 「はいはい」
高い物頼んでやろうと思いながら卵焼きを摘んだ。久藤はこれなに?とかちょいちょい質問しながらおかずを弁当の蓋に取り分けて俺に箸を返した。頂きます、と同じように卵焼きを摘む。
 「おいしい」
 「そりゃ良かった」
母さんが喜ぶな、とぼんやり思いながらおにぎりを囓った。まさかクラスで一、二を争う人気の奴に料理を褒められているとは夢にも思うまい。しかも争っているのは我が息子とだ。なかなかないぞ、そんな経験。
 「なんか、ピクニックみたいだね」
油断していたのが悪かった。久藤が出し抜けに言うので、俺は危うく米粒を吹きそうになった。確かに空は青く、陽射しは暖かい。でもここは小高い丘の上じゃなくて、ただの高校の屋上だ。メルヘンな発想に体を震わせて笑う俺の屈んだ背中に、久藤が心外そうに言った。
 「そんな笑うとこかな」
 「いやだって、お前、高校生の男子がピクニックって」
 「…『そらのピクニック』」
 「今はやめろ」
尚もこらえきれずに笑っていると、久藤がふと宙を見つめて呟きはじめた。その題名からして感涙必至が予想されるので慌てて制止すると、またこっちが負けたような気分になる笑顔を返してきた。
 「あとで聞く」
 「わかった」
おにぎりを食べながら久藤が頷く。飯がしょっぱくならなくてよかった。しかし、なんだかんだでその物語を楽しみにしてしまう自分がいることを頭の中から払いのけたい。


 「…つか、さ、話戻すけど」
 「うん」
 「ちょっと走るくらいでサボんなよ、こっちはお前に勝つ気だったのに」
 「不戦敗ってことでいいよ」
 「よくねーよ」
戦況が悪くなってきたので、反撃とばかりに体育の話に戻した。つつき回していた煮豆を口に放り込んで、飲み下してから話す。
 「今度は絶対逃げるなよ」
 「別に木野からは逃げてないよ。っていうか、木野の方が足速いよね」
 「数字と実際の勝負は気分が違うんだよ」
 「テストのときは僕が間違えてた所当ってても喜ばないくせに」
黙れ不思議ちゃん、誰に弁当もらったと思ってる。揚げ足取りが上手い久藤は睨んだ俺を軽く宥めると、半分取っていったコロッケを黙々と囓った。しばらくその余裕面を眺めていたが、不意に思い出した連絡事項で口角を上げる。
 「ああそうだ、お前今度百メートル走補習だって」
 「え、一人で走るの?」
 「そんぐらい頑張れよ」
参ったなあみたいな顔をした久藤をよそにしばらく無言で弁当を食べた。空になった弁当箱を置いて腕を枕に寝転がる。なんせ半分だから食い終わるのがいつもより早い。しかし蓋はもう少しのあいだ返ってこなさそうだ。腕時計を見ると昼休みはまだだいぶ余っている。喧噪が遠くに聞こえた。
 「応援してね」
 「誰が」
軽口を叩くと、久藤のかすかな笑い声が聞こえた。空は目に染みるくらい快晴で、雲の気配もない。鳥の影が二つ、俺と久藤の遥か上空をくるくる回る。暖まったコンクリから伝わる心地よい熱に眠気を誘われた。
 「寝る?」
 「んー」
 「じゃあ予鈴鳴ったら起こすね」
目を瞑った俺に久藤が声をかける。こんな朗らかな日に不覚ながら、なんかこいつの声には春が似合うなと思った。




ある穏やかな日

- end -

2008-03


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