爪色



登校してきて鞄を置いて、振り向いておはようと言われたそのとき、こちらの机に載った手がひどく目立って見えた。正確に言えば、その爪の先に乗っかった奇天烈な色が。何それ?と思わず指差すと、木野は両手の甲を軽く掲げて不敵に笑ってみせた。
 「ネイルアート」
 「え」
 「何だよ微妙な顔すんなよ」
いやだってそれは違うでしょう。テレビとかで見る女の子の爪にはピンクや白のハートとか、真珠みたいな飾りとか、そういう可愛らしさを表すものが目一杯載せてあったように思うけど、木野の爪にはよくわからない模様がわけのわからない配色で塗ってある。
しかも両手指が全部違う色合いで目がちかちかする。そもそも何で男子高校生が爪を塗る必要があるのか。いつも思うんだけれど木野の審美眼はレベルが高すぎて僕にはよくわかりません。いつか玉虫色の口紅とかつけてきそうで心配だ。

 「いやよく見てみろよかっこいーじゃん」
 「はあ」
とりあえず手を出してみたら自ら乗せてくれたのでお手の形になった。同じくらいの温かさだった。どぎまぎするようなしないような、微妙な状況である。
 「豹柄?」
の、出来損ない…と続けかけたもののやめておいた。輪っかが滲んでいるような感じはするからこれはたぶん豹なんだろう。自然界にこんなギラギラした豹がいたらまず目立ちすぎて生き残れないだろうけど。
 「おー、やっぱ最初だからスタンダードで」
 「スタンダード?」
鸚鵡返しに聞いてみながらも、爪長いけど整ってるなあとか指がそもそも結構長いんだろうか僕より細いなあ、とか少し明後日なことを考える。我ながら少し可哀想な人だ。こいつの意味がわからない服装面に関して、僕はもうとっくに思考停止している。
 「これ、自分でやったの?」
 「あったりまえだろ」
得意げに笑う顔がなんか近い。ああそうだ手なんか取ってるからだった。朝からちょっと嬉しいですと表しかねない頬をつとめてかたく抑えた。
 「…ちゃんと色取れるの?」
 「裏技やっといたから大丈夫。水のり塗ってから塗んの」
昔テレビでやっていた何とかいう番組からだろうか、また随分とチープな知識だ。まとめた本を読んだことがあるけど、いつ役に立つんだろうっていうようなものまで載っていたな。ていうか何で僕そんな本まで読んでるんだろう。置いてあったからだ。まったく自分の雑読ぶりにあきれる。
 「シールみたいにきれいに剥がれるんだって」
 「へえ?いいなあ剥がしたい」
 「ダメ、っつか自分でやれよ爪くらい」

なんとも他愛ない会話をしていたら、ガラガラと音立てて戸が開いた。現れたのは袴姿の担任だった。また朝から気怠げな人だ。
 「おはようございます」
木野が意外なほど礼儀正しく挨拶をする。僕はその背中にぴったり寄り添う常月さんにも一応会釈をしてみたが、眼中にないらしく反応はなかった。
 「おはようございます。…おや、それは」
担任が怪訝そうな顔で寄ってきた。でもあんまり直視したくなさそうな顔だ。どこをだろう。そもそもこの体勢で平然としている木野が変なのか意識している僕が変なのか。
 「ネイルアートですよ」
 「…また男の子が酔狂な」
指摘されたのが嬉しいのか、木野が手をかざしてみせる。先生は一歩引いた。純粋に爪の柄が酷すぎて怯んでいたらしい。背後の常月さんも顔を青ざめさせている。僕はといえば手が離れたことを残念に思いかけてとりあえず思い直そうとしていた。
 「でもかっこいいでしょう?」
 「はあ、正直私にはよく理解しかねますが」
 「そうですよね」
 「あー!久藤が裏切った!」
 「裏切ったって」
指を差されて、理不尽な言われように苦笑する。僕は一回も賛同なんてしてないんだけど。でもなんとなく心地がいいのは、あのぐるぐる模様の盛大な催眠効果に違いない。
 「いいじゃん肉食猫科!」
木野。そっちじゃないよ。そっちもあるけどそっちじゃないよ。動物園で本物見てきなよ。
 「僕は凡人だから」
力説する木野に曖昧な微笑みのままで返す。ふと見ると、先生はいつのまにか教卓に避難していた。頭が痛いのかこめかみを押さえている。僕は慣れてるからなんともないけど、そういえば木野のお洒落は見た人に諸症状を引き起こすんだった。…とりあえず拡大を防ぐためにそれとなく努力してみよう。
 「木野は何にも塗らない方がいいと思うよ」
自然に控えめに幼子に言い聞かせるようにを心がけて言ってみた。もっとも、こんな話を素直に聞くんなら木野はとっくに真人間の服装になってるだろうけど。
 「何でだよ」
 「なんとなく」
何だそれ。案の定気分を害したのか木野がぶすくれた顔をしたときにちょうど朝のチャイムが鳴った。ああ僕の限界はここまでです。皆ごめん。
はいはい席について、という先生の声でそれぞれ好きなようにしていた皆が所定の席に座りだす。木野も前を向いて、僕は本を取り出して、先生が諸連絡を話しはじめる。
本を開くとおよそ何でも右から左へ抜けていく耳に、ぺり、とかすかな音が届いた。
前の席を窺うと、頬杖をつく手の爪はきれいに透明になっている。
思わず笑ってしまった僕を振り向いて怒鳴る木野に、溜息と一緒に注意が飛んできた。




不可解でかわいい

- end -

2008-06


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