すべての願いが叶った少年



攻め落とされた城砦に踏み込んだ残数少ない兵たちが散乱する外壁と敵兵たちの残骸を蹴り、びちゃ、ジャリ、と嫌な音を立てて王の室をめがけて隊列を組み直しつつ回廊を駆け抜ける。長い長い戦だった。迷いなく突き進む先陣には先ほど何番目かの部隊長に就いた男と内通者、されど見た目はよっぽど交換が似合いそうな、長身ばかりが抜きんでた優男とげに強健そうな強面が共に鬼気迫って突き進む。元は堅牢であったと十二分に伺えるこの城も今や絢爛たる廃墟、その最も重厚な石造りの扉に手をかけ…。…ピリリ、ピリリ、ピリリ、活字の列を引き裂いて、けたたましく緊急警戒要請が鳴り響く。いいところだったのに。王の間には父と母の胸を一突きにした錯乱の姫が一人、ドレスをかなぐり脱いだ血まみれの柔肌で精神を狂乱の冷静に浸し、仁王立ちして敵将の襲来を待ち受けてるはずだ。

 「舌打ちするなよ」
おまえのイメージが揺らぐ、と呆れ笑いを含んだ声が響いた。いっぺんに引き戻された此処は静寂のなかにあった図書館、そこで思わず立てた凶悪然とした擦過音に向けての感想だった。うるさいよ木野、と苛立ちまぎれに吐き捨てるのは、重ねてそんな勝手な偶像なるものを打ち捨てていく行動にあたるだろうか。お前はとうに、そんなもの構築してなんかいないくせに、あるいは最初から完全に。加えて、それで言うとすれば、からかいの言葉は受けるものなんかじゃなくて僕が撃ち出すものだった。そう敢然と言い返してやろうと思ったが、言い返す、という行為がそもそも僕らしからない。眉をよせて言いやめた僕に、木野は趣向ありげな笑いを音量ひそめて落とした。楽しむような声音や余裕も、お前らしくないものだろう、とは、ああそれにはこいつという人格の定義だとか内外の意識差だとかとにかくいろいろ面倒だな、と感じて、もう一度発話を止すことにした。「ほら、さっさと行くぞ」早くいかないと終わっちゃうだろ、ここ一番遠いんだぜ。呼びかける言葉に、はあ、と喉が痛むような溜息と共に目の下をゆがめ、ぶあつい頁をわざと音高く軽石を落とすように閉じて、ぶどう色の布張りの表紙に金糸で重々しくいろいろ印字された厳かな本をほうり出す。重厚さを出せなかった焦げ茶けた合板の長机に、ごろごろざくざくと装丁も判型もさまざまな本の塔、いやせいぜい壁だろうものがくずれて積み上がっているけれど、いま片づけることも気にして目を落とすことも必要はない。電灯も消さない、注意されるいわれもない。ここに来る人間なんていないのだから、まったく、僕以外に。

ずかずかと進んで奇しくも本のなかの王の間みたいな扉を開き、すぐつきあたった冷える廊下の奥、螺旋状に上まで抜ける階段をこつこつと上がっていく。ぐるぐる回るの、やなんだよな、この梯子みたいな段差、つまずきそうだし…とひとりごちると、「いい加減慣れろよ」と返ってきた。確かに、もう何回ここを上下動しているのかわからないし、あんな奥まった場所を好きこのんで定位置としてしまったこちらも悪いのだが。だからといって、蹴躓けば転げ落ちそうな階段をわざわざ設計するのも、性悪だと思う。ここは古い建物だから、文句はざっと八十年はまえの建築家につけなければいけないのだけど。呪詛にもあきて、黙々と足を動かす。エレベータくらい、足してくれればいいものを。
 「お、もうこっからだと見えるだろ」
ほら。地上階の、周りの低いビルが屋上になる辺りにさしかかって、壁に点る光でなく窓からの外光が床に射し始めたころ、木野がそう声をあげた。床に落としていた目線を億劫に上げて、端のくすんだ窓硝子へと目を転じる。せまい踊り場、胸ぐらいの位置からはじまり見上げる高さにつきぬける、螺旋の一ループごとに埋められた縦長い窓だ。黄を帯びた日差しの容赦ない眩しさに刺されて、色素の薄さと多少の近眼を自覚する目がぐっと細まる。いま、昼だったのか、とぼんやり思う。そろりと目が慣れる。じわりと開けた、視界にとびこむ。

 「うわー、やってるやってる、毎度ながら圧巻だな、やっぱおまえ、とろいんだって久藤」
つごう十万の少年少女兵が一斉に光の中を飛び立っている。勿論それは都内各所に散らばった数で一挙にみえるわけじゃないんだけど、ここからも数えるのが大変な量のひとたちが跳びだしていくのが見える。たぶん、その中には学籍を同じくした子たちもいるんだろうけれども、こちらからではどれが誰やら全くよくわからない。目をこらしてもまた眼球が痛むだけだ。視線を離して閉じたまぶたをそっと親指のつけねでこする。閉ざしても残像が明滅した。まばたきをくりかえす。
 「こら、言ってんのに足止めるな、あー目ぇちかちかしたのか、あとでどうにかしてやるからいま我慢して。いや歩いてくれよ。急げよ。おっまえ本当そういう所かわんないな」
しぱしぱとそのまま瞼をあけしめしてギュッと閉じたら、木野がたえかねたフリで言う。確かに、出撃命令が下って尚、こうもぼやぼやだらだらしている人間は僕ぐらいだ。していられるのだからいいんだと言い返すこともできたけれど、しなかった。木野、僕の視力がこれより低くなったらどうしてくれるの。きっと、どうにかしてよ。よびかけたら、思ったより甘えた声になる。苦笑する気配に目をひらくと自分の腕が眼前に在る。感想は無い。描写をすれば、じわりとただきらきらしてる。陽光をさしひいても人間の肌色じゃない、言うとすれば白いか青白い、水晶かのように硬質化して澄んだ、成金趣味のひとがあつらえた高価な義手かのよな、腕が、そこにかわりばえせずについている。…まあそんな表現でさほど遠くはない、五指のすべての関節が、宝石の研磨された面が接触しているごとく、ちらちらと火花をおびて光っていた。

現在の僕は、脳から脊髄の半ばまでを除いて半身が生体機械化されている。ようは頭のてっぺんから肩口、背中の途中まで以外は生身の肉体を剥奪されたのだ。詳しい原理は文化系の頭に飲み込めないが、どうせこの星の外から持ち込まれた技術なのだから、分野の人間にだって理解の埒外だろうとは推察できる。そうして僕らは、純然たる日本の、地球上の機関の管轄だという名目で、いうなれば傀儡、あるいは代理戦争の兵士として、弾丸の役目を担って進撃する誉れに至ったのだった、少なくともあの教室、一クラスは確実に。そうしてあとの、不特定多数たち諸君は大量に。少子化だっていうのにだ。まあもはや、そんな言葉どうともないことなんだけど。こどもがたくさん戦っている。どこの、何と、戦っているのかだって、何に、姿形を変えられ、戦わされているのかだって、ひとつもしらないままに。

そんな身分でも、エマージェンシー以外は自由なものだ。けれどいっさいの臓器、心臓や肺すら無い体では生体維持の努力が今までより格段に必要なくなった。脳を休める短い睡眠を挟めば、本を読む以外になにもしなくったってよかった。そうだ、いつだか夢にみたような、世界じゅうの本を読破することさえ夢ではない。本たちは現存している。呼び集めることもできる。謎のものたちは物理的な破壊というものは殆どまったくしなかったし、意外と僕たちに寛大な措置をくれて、役所的申請でやりとりできる。本に没頭していれば、なにも気にしなくていいのだって変わらない。それは良かった。それはとても良かったし、それ以外のすべてが悪かった。けれども大体のことは忘れた。忘れてしまうことはできた。だけど、そうして、もっと悪いことには、永劫、無限に、どうしても、わすれられないものも、あったのだ。

生体兵士ひとつには、必要なものがふたつある。仕組みは殆どしらないが、とにかく、必要なものがあった。まず、年若き地球人を一人。適性があるのは学生くらいの年頃の男女に限られた。これを回収してコクピットのよな手術台に眠らせ、目覚めたときには水晶人間となっているようにする。ここらへんは苦痛もなくあっけなく、体験してもさっぱりわからなかったところだ。次に、というか、こちらが「まず」のほうなんだろうか。これは、機体にもう一つコンピュータを搭載して処理を早くするみたいな話のはずだし、外殻のコーティングそのものに充填循環される半永久のエネルギー体でもあった。そして優秀な素体にはアトランダムにせず、より親密な間柄のシステム基盤を選んで反射や何やをスムーズにする、とか何とか。その選出やコーディングはやっぱりなんだかよくわからない。
皆まで言うと。水晶人間一人につき、同じ年頃の他人を一人、肉体をもたない精神だけが、特殊な方法で抽出され、あたかも脳に同居させるかのように外部から注入されて、与えられて、ひとつの、兵士ができあがる。
僕は高性能な兵になる素体だったらしい。

 「ほら、いつまでもぼけっとサボってんなよ、行くぞ」
聞き慣れたやわらかい声と共に差し出されるはずのてのひらがない。てのひらに続く腕も胴体も首も脚もない。言うとすれば声すら無い。「久藤?」それでも声は響く。がらんどうの、建物に、響いたふうに、がらんどうの、脳裏を響く。

僕が外身になったとしたら、木野は中身になった。
僕が中身になったとしたら、木野は、外身になったのだ。


ようやく扉のある階層までたどり着いた。時代ものの地下部分と違い、異星文明に改築された、すべての理解を拒否させる、サイエンスフィクション系の内装が広がる。見飽きてわかりかねる壁には目もくれず、ひとりでにひらくはずの中空の扉を睨む。せめて逆なんじゃないかと何千回めに思った。木野は体が丈夫で、脚も速いし、僕は思考能力だけはお墨付きで、判断力もまあある。代わりに木野の頭はよろしいとまでいえなくて、僕の運動速度はぎこちなかった、はずだ。それでも現実、どういう査定か、僕は体で、木野は補助なのだ。

 「準備できてんぞ」
毅然の声を合図に、ファインダーを引き絞る様子を誇張したような音が頭のなかに響きわたる。肉眼が肉眼じゃなくなる。すこし目をこらせば八〇〇海里は見えそうな視界にいつも慣れなくて足がぐらつく。うげえ、と思った瞬間忍び笑いが届く。ふだんは声に出さない思考には応答しない、できない木野が、おかまいなしに即座の反応をする。じきに言語思考さえいらなくなる。シンクロニシティが強まる。木野が僕のことすべて判るようになるだけの一方的な。木野が笑う。好戦的なあの瞳を思い出すくらい静かに笑いはじめる。贋物の体に気力が充ち満ちていく。扉がきゅるりと開く速いはずだひどく遅く遅く思える体が通る幅になった。飛び立つ。さきほど見た無数のロケット達の比じゃない初速、音速とかマッハとかいえるんじゃないか、あっといわない間に、虚空、成層圏の手前。

あとはライフルのようなものと化した腕の先から発する怪光線で、破壊粒子で、なんだかものすごい波動で、大仰な異形の物たちを的確にぶち抜くだけ。数十億円かかったZ級映画の絵面。変な話、僕はこの上ないぐらい頭の血管破くように集中して、退屈でしかたなくて地上にいるときよりぼんやり呆ける。思考だけが身体から剥離している。視野を広げると数キロ周りには水晶みたいな女の子がちらほらいっぱいいて、二人一組にされた級友も混ざっているのかなと思う。確かもう数ペア僕らみたいなのがいたはずだ。希有な筈なのになかなかの率だ。では、…あの子はどこにいったんだろう。あんまり二人でいなかった、娘は。よぎった面影に本来ゆらぎかねないはずの半身は、微塵も動揺なくターゲットを微塵にする。ゆだねてゆらゆらと思考を広げる。おとなはどこにいったんだろう。亡霊はどこへいっただろう。むずかしい話。忘れた話。遠いお話。ぼやぼやしていたって木野の指示、というより反射は的確で、僕はまるっきり木野になったみたいだった。だったらお前がやっていてくれ。それがよかった。木野を補佐するんだったら僕は高性能で全力を賭すと思うのに。でも、木野ばかりが僕の無意識までもを判ってしまうせいで、この果て路もない一方通行があるせいで、今や僕は、木野がまだほんとうにここに居るのか判らなくなっていた。これは、僕の脳に居るのは木野のうわべをコピーした人工知能の何かなのではないかと疑ってしまうのだ。他人の言動に意識や精神が在るのか疑うなんて小学生以来の話で、笑えてくるくらいには変な話で、だけどそれでも、しかたがなかった。

へんな服を身にまとう体が無い。うるさいくらい感情表現できるようになった顔がない。射抜くような目が、目が、目が、ない。そうしたら、木野は、奇妙な服を着たがることも、悔しがる言葉をこぼすことも、伝い落ちる涙も、無くなった。ぽっかりといろいろが失われて、やさしいだけのものになっていた。
さびしかった。

お前のイメージが薄れる。今のお前が、どうお前らしいんだったかわからなくなる。外見の記憶につられて、内心の混乱に乗じて、内面の刻印まであやしくなるなんて、陳腐すぎて、いやだ。
わすれたくなかった。

撃ち抜く。渇きも精巣も心音も恋心も失われた体で、それこそ、いつだかに馬鹿げて望んだとおりのような体で、僕はそれでも木野のことを思っている。撃ちおとされ朽ち果てるまで他にすることもないから、本を読む、自我と思考を消していつも通り無限の時間を耐え抜くそれ以外は、ひたすら異形の外敵を打ち砕きながら、くるしくてひきつれて迷子の世界で、木野のことを考えていた。

異星の敵を融かす黄緑の燐光に、…俺は、ほんとうだよ、…俺はと、微かにやわらかくてさみしい声が溶けた。







(いちばんかなしい上空で)

- end -

2013-11


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