金色の蜜



 彼女に出会うまで見たことがなかったくらいに金色でゆるやかな長い髪が机に突っ伏した少女の肩へ背中へと引力のままに流れている。椅子はだいぶん引いてあって後ろの机を押している。だから背中はまっすぐ平らで苦しくなさそうだ。かすかで安らかな寝息がきこえる。眠る姿を見るなんてめずらしい。いつもどこか気怠そうな顔ではあるけど、この子は寝たいときはふらっと家に帰ってしまう。禁句のくせに。だからおかしい。いつも彼女を見ていて思うことだけど、たしか言ったことはないような気がする。言おうかな、やめておこうか。そういえば最近はそんなに早退しない。この異様な顔をした教室にしっくりなじんだらしい。せんせいとか、包帯とか、メールとかいろいろで。居心地のいい所在がある、それはいいことだ。いいことなのだろう。おそらく。


 さて、と息をつく。鞄をとりにきたんだけどどうするかな。この光景を見たので帰りたくはない。もったいないに近い。夕暮れの校庭ではたぶんまだ粘着少女が暴れている。正確には追っている。刺したかな。埋めたかな。でも放っておけばそのうち収まってしまうだろう。今日はそんなにおもしろくなかった。その分危険は遠い。さて。椅子はたくさんあるけど座るよりは立っていたい。背の高い女の子を後頭部であっても見下ろすのは新鮮だった。これまでにどうやらつむじは一つきりであるらしいことがわかった。組んだ腕に伏せた顔の造形は既に事細かに知っている。青い目が存外垂れ気味の造りであることも天然物のまつげが金色に光ることもわかっている。それでもどこか物足りないのは情緒とか未練とかそういうことなのかもしれない。机に圧迫されている乳房は痛くないのだろうか。今日も大きいですね、いいことです。たくさんミルクが出るんだろうか。関係ないんだっけ、どうだったっけ。ああ、でも、お腹がふくらんでしまった姿を想像するとちょっと気分がすぐれなくなる。胎児や乳児なんてよけいだ。やめておこう。どうなるか知れない。


 めまいがしたから前の席に座る。がたんと椅子が言ったけど金髪は身じろぎもしなかった。熟睡だ。気持ちいいのかな。布団がないから寒いかな。でもブレザーだから平気かな。セーラー服は上着がないから少し不都合だな。何がだろう。あれ。近頃さっぱりわからないや。わからないついでに右手をのばす。金色の髪はさらさらしてほのかにあたたかいような気がした。顔を寄せると花みたいにいい匂いがした。そっと気をつけて撫でつづけた。ゆるく絡んだところを指で梳いた。気持ちがいい。起きる気配はない。いいことです。眠っている間は人格も所在地も異国も日本もないのだろうか。案外夢にまで出てくるものなのだろうか。そもそも彼女は心から彼女たちなのか。気になる。二人目も三人目も議会の円卓も、妄言なんだろうか。わたしはどういう風だったっけ。思い出せない。誰と誰と誰がいたっけ。どこにいたかしら。それでも結局彼女に当てはめるなんて無理だろうけど。その人はその人の頭の奥底にあるだけだ。逆立ちしたって人間なので人の頭に手をつっこんでは調べられない。楓もカエロもカエレッタも脳みそにぽんとデータが置いてあってカタカタ解析できたらいいのに。それからカエレも。カエレ。ああ、これもいつも思うけど、いい名前だ。


 窓の外はそろそろ真っ暗になっていた。少女は起きない。起きないのはいやだな。立ち上がってきゅるりと踵を回して椅子の真横に膝をつく。うつぶせた背中のあばら骨辺りの曲線に顔だけ押しつけた。流れだす金髪に鼻先をうずめる。深く息を吸うと花の匂いがよけい色濃くしてくらくらした。ほのかに体温が伝う気がした。厚着してるのに。顔を下にかたむけると白くてやわらかそうな太ももがのぞいている。ゆらりと立ち上がる。肩胛骨のあたりに手をのせる。このまま少しすべらせれば圧迫された乳房に届く。くらくらする。くらくらしたので膝がかくりと落ちた。背中に不格好に抱きつく。のしかかる?体重は乗せないように気をつけてあげた。額を押しつける。ブレザー越しだから何のやわらかさも不明瞭だ。もったいないかもしれない。



 「何、してんの」
緩慢で眠たそうでするどくてぎろっとした声が聞こえた。顔を上げると、伏せたままの後頭部があった。顔が見たくなって前方へ回る。のぞきこむ前に睨まれた。他の誰じゃなくてカエレがいた。なんでもないですよと応える。笑顔はすんなりできた。だってわたしも少女も動転なんかはしていなかったから。わたしは頭のかるい女の子なのでみんなこんなことは慣れっこだ。少女はのろのろと鞄からお茶のボトルを出してごくごく飲む。それはあれだけ眠ったなら喉も渇くだろう。わたしはそれを見て笑っていた。麦茶だからおかしいのだ。少女が思い出したようにこちらを見上げた。射抜いた。潤したのに渇いた声だった。
 「泣きそうな顔して」



 すると途端にわたしはすがりついて泣きたくて首をしめてしまいたくて笑い出したくてただ笑っていた。白い床に突っ立っていた。急に舞台効果のように蛍光灯がちかちかする。やめてほしい。取り替えるよう言っておけばよかった。背ばかりひゅるりと高いせんせい。カエレはふうと息をして黙って腕を広げた。目線はまっすぐで何の心の起伏も見えなかった。紺色のブレザーの上着は前ボタンが開いている。白いブラウスの乳房がある。しょぼくれた教室の椅子に迎え入れてくれるカエレちゃんが座っている。わたしはそこによろめいて飛びおりた。知らないでいてあげる、とカエレちゃんはちいさく言った。いやだなあ、とわたしは笑った。頬を包むやわらかな白さとかがまぶしすぎてそれからずっと黙った。




きばやつめをとぐことを

- end -

2009-04


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