青い葉



ありがとう、と真っ白な花のように笑う女の子を見たら、彼がこの子を好きになった気持ちが少しわかった。僕がこの子を嫌いになれそうにないことまでわかった。好きな子の片思いの相手、というのはつまり消極的な恋敵で、ふつういい気分のしない相手だろう。僕も少しはそういう風に思っていた。だけどぎこちなくも優しい笑顔を見ていたらかろうじてあった嫉妬心や焦燥感もどこかへ行ってしまって、ただ切なさと安堵が募った。加賀さんでよかった、と頭の中でつぶやいた。

つられて笑みを浮かべた僕に、加賀さんは慌てて逃げてしまった。あ、と間抜けな声が出た。失敗したなあ、と頭をかく。そこまで仲良くなりたいってわけじゃないけど、嫌われるのもいやだった。でも、あいつと話すには格好のネタができたなと不意に思う。消しごむ拾ってあげたら、ありがとうって言われたよ。いいでしょう。たぶん噛みつかれるんだろうなあ、今日もあの子とろくに話せてなさそうだから。くるくる表情を変えて最後には落ち込むんだろう木野を思うとどこか愉快だった。性格悪いのかもしれないな、僕。
一人、くくっと笑った僕に、だしぬけに現れたマリアちゃんが、変な顔、と言った。驚く僕を尻目に、マリアちゃんは僕の隣の席の机の上に飛び乗るように座る。遠い異国から来た小さな同級生は、出ていったときと同じようにいきなり戻ってくる。また今日も偵察ごっことかでその辺りを一巡りしてきたんだろう、頭に葉っぱがついていた。取ってあげながら呟く。
 「そんなに変だったかなあ」
 「おお、なんかニヤニヤしてたヨ。熱でもあるのカ、クドウ」
少し片言のかわいい声で、意外と心を刺すようなことを言う。はは、と苦笑すると、特にあたりさわりのないように本当のことを言った。
 「好きな子のこと、考えてたんだ」
マリアちゃんは小さく首をかしげたが、やがて何の脈絡もないようにつぶやいた。
 「変なTシャツだナ」
面食らった僕に、八重歯の覗く笑顔を見せる。いつもいつも思った以上に鋭いのがこの子だ。どんな物語りをしても思わぬところから感想をくれるし、甘っちょろいハッピーエンドには首を横に振る。
 「ばれてたか」
 「バレてたネ」
二人で笑い合うと、僕は大仰にしょげて見せた。褐色肌の女の子は、ますます楽しそうになって足をぶらつかせる。
 「隠しおおせる自信、あったのにな」
 「カクシオーセル?」
 「ああ、えーと、誰にもばれないと思ってた、ってこと」
 「そーか。やっぱり日本語ムツカシな」
カクシオーセル、覚えたよとマリアちゃんは楽しそうに言う。とても頭のいい子だから、たぶんまだまだ語彙は広がるだろう。今度僕の好きな絵本を貸そうかな、きっと仲良しの交くんと一緒に読むだろう。
 「誰にも言わないでね」
念のためにちらりと窺うが、教室にいる女の子たちは窓際の席にかたまっていたから、この会話が聞こえてはなさそうだ。まずはほっと安堵の息をつく。誰にはばかるようなこともないといえばないのだけど、願わくば心の中にしまっておきたいのが心情だった。告げるつもりはなかったし、叶うはずもない。まったく途方に暮れそうな慕情だ。
 「おお、他言無用ダ」
 「難しい言葉知ってるね、マリアちゃん」
褒めると更に笑みを深くした。この子はいたずらに触れ回るようなことはしないだろう。よく誰かの秘密を掘り当ててきては騒ぎになるけど、それは楽しい遊びだという考えが前提の話であって、こちらが真剣に頼めばきちんと聞き入れてくれる子だ。
 「ありがとう」
 「いーヨいーヨ、気にするナ。…それよりクドウ、いいのカ?当てテ砕ケ、聞いたことあるよ」
当たって砕けろのことだろうな、と思いつつ野暮な突っ込みはしないで返す言葉を考えた。悩む姿をマリアちゃんは遠慮なくまっすぐに見つめている。
 「いいんだよ、言うつもりないんだ」
 「冒険しないノカ?ツマンネーゾ。マリア、女の子に好きって言われてもウレシイよ」
 「うーん…そういう心配もあるんだけどね。何ていうのかなあ、二人の幸せを祈ってますって気分だから。困らせたり邪魔したり、したくないっていうか…」
 「枯れてンナー、若いモンガ情けナイ」
 「ああ、そうかも」
整理のついていない思考だから、ときどき絡まっていく。ほどくように話していたのだけど、マリアちゃんには容赦なく斬られた。苦笑いしてうなだれると、その頭を小さな手が元気づけるように叩いた。少し痛かった。
 「マリア、クドウ好き。イイヤツ。ンで、バカ。ヒトの幸せより、オマエのこと考えろヨ」
顔を上げると、額を弾かれた。けれど笑顔は穏やかなものになっていた。僕はこっそり舌を巻いて、情けなく笑う。たぶんずっと年下の子に、心底なぐさめられてしまった。本当に頭のいい、やさしい子だ。
 「ありがとう」
 「オウ」
マリアちゃんはにし、と笑って机からひょいと降りると、黙って背中を叩いてから走っていった。突撃した先には木津さん達がいる。皆楽しそうにしていた。木野たちはまだ教室に帰ってこない。マリアちゃんが運んできた葉っぱをそっと摘んだ。小さいけれど確かな手応えを感じる。
 「ありがとう」
青い匂いと背にまだ残る手の感触に、何でか久々に泣きそうになっている自分に気づいてまた笑った。




よわいこつよいこおんなのこ

- end -

2008-05


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