(久藤→木野)


思い上がりかもしれないけど君は僕が好きだよね、と久藤が言った。湯にさっとつけたトマトの皮を丁寧に剥きながら、こっちも見ないで手元だけ見つめている。俺は少し面食らったし意図が掴めないし、頷くのも癪でつい黙ってしまった。しかしすぐにどうでもよくなって自棄のようにだから何だよと返す。何も言わなかったら久藤の俯いた真顔が曇るんじゃないかって、寝てる間に世界が滅んだらどうしようレベルの杞憂を思ったからだ。案の定すらすらとトマトを刻む久藤はミリ単位もぶれない手際のよさでサラダを盛り付け終えた。本当は剥かなくてもよかったんだけど少し固かったから、と小鉢で混ぜたドレッシングを回しかけながら言う。パンの耳でクルトンまで作ってのせてあった。腹を空かせながら口を曲げながら俺は栞を挟んだところから本を開く。料理中は読めないからって音読を申しつけられ、まあまあ飯も作ってもらってるんだしとエプロンの背中に読み聞かせ続け、ちょっと小休止とお茶を飲んでいたら先の台詞である。いや別に好きでやってるわけでもなくはないかもしれないんだけれども、言ってしまえばそうではあるのだが。しかし薄い文庫一冊の半分も行かない時点で既に後片付けに入っているのは久藤が手早いのか俺の口の回るのが遅いのか複合で仕方ないのか。三つめかな、と結論づけているうちに皿はあらかた食卓に揃ってしまった。余計にせつなく腹が鳴く。魚貝の和風な炊き込みご飯とあっさりしてそうな鶏と根菜のスープに常備菜らしい煮物少しとさっきのサラダ、和洋がさっくり折衷されている。もっかい開けてはみたもののそろそろもういいのかと迷う俺に、久藤は包丁を布巾でさっと拭いながら続きを促す。あと数行、という言葉に訝しみながら読み上げていくと、久藤は冷蔵庫から何やら四角い銀色の型を取り出して大皿に空けた。つるりと揺れた白い長方形が懐かしの牛乳かんらしいと気づいて思わず朗読を半端に止めたから久藤の背中は笑っている。デザート、喉にいいよ。蜂蜜を滑らかな一面にきらきらと垂らしかけながら振り向いて実にわざとらしく片目をつぶってみせる。俺は誰のせいだよとか掠れたままで言いかけて思いとどまって堪えきれず笑った。俺だって物語をせがんで喉飴やったりしてるじゃないか。そこでふと気づいて、お前だって声枯らすくらい俺のこと好きだろって言ってやったら、久藤は驚いたように瞬きして苦笑いになってそうだねと返した。首を傾げた俺の手を夕餉が招いていた。

 

 

◇◇◇

 

(久藤→木野)


木野が泣いている。グエグエと溺れるように荒く、ひどく悲痛に泣いている。僕は茫然として棒立ちのまま手を伸ばすこともできなかった。奴はすぐこの目の前にいるというのにだ。いつもの悔しそうな脳天気な流れるままの涙とはまるで違って、吹き出る激情が抑えきれずに喉を潰していく叫びだ。いったいいつから泣いているのだろう。どう言って僕の元にやって来ただろう。何だって僕はここにいるんだ、そもそもここはどこだ。かきまわされた頭が何もかもわからなくなってそのまま止まった。今かろうじてわかるのは、かの明鏡な少女がほんの気紛れを起こして儚い女の子をあやつって、その企みが一途なこいつをただただ泣かせているという点だけ。そうして彼はこの期に及んでだれかを憎めない、僕はその分みんなを恨みつづける、きっと。ウァァ、と木野は耐えきれないように目許を歪めて声を上げる。口許に押し当てられた手の甲にはきっと歯形が、その手のひらには爪跡が残るのだろう。唇にも傷をつけているんじゃないだろうか。何でこんなになるまであの娘が好きなんだろう。そこまで好きになったのは何でなんだろう。混乱のらせんの中にそれだけ浮かんでいた。嫉妬も何も飛び去った疑問はまっさらで、けれどもその頬をぬぐうハンカチほどの役にも立たない。

「くど、う」

木野は肺を折らせそうなほどしゃくりあげながらやっとのことで言った。顎には苦しみがあふれて滴っている。

「つらい」

掬いを求めるようにもう片手が僕の腕を掴む、そのこわばった動作で僕はようやく動けた。途端にがくりと落ちかけた膝を支えるべく熱い体を受け止めながら、動揺に冷えきったままの頭が必死になって解決策を探す。しかし彼のためにできることなんて一つもありはしなくて、僕のためのずるいことだったらいくらでもあった。唾棄してやまない心だ。肩に寄り掛かる少しだけ背の低い少年はそんなことを知らずに泣き濡れつづけている。この涙も叫びも全部飲み干してさっぱり消してやりたい。けれどそんなことは無理でそれを口実に使ったことしかできそうにない。良心の呵責を起こすことがそもそも間違いなんだ。無力な壁になったまま凭れかかる肩をそっと抱き直す。どうしてここまで深くなってしまったんだろう、どろどろ沸き上がるまま涸れてしまわないんだろう。グァァ、と自分の制服の腕でそっとくぐもらせて木野が叫ぶ。せめて肩でも噛んでくれてもいいのに、と場違いなことを思った。血の味のする口も舐めないままだった。

 

 

◇◇◇

 

(木野→←加賀)


ぐらぐらと足場がない感覚を抱きながら正面玄関の壁にもたれかかっていた。目の奥に水が渦を巻いている。いつもの後悔だった。決意したことも実行できずにずるずる引きずって他の動作までおぼつかない。あげく迷惑をかけて、そうだ、今日はよろけて人の筆箱を落としてしまった。きっと汚してしまった。胃の奥を熱がじわりと浸す。のうのうと生きてごめんなさい。しんでいなくてすいません。


 「加賀、どしたの」
声をかけられてはっと顔を上げると、沈みかけの西日を遮るように木野くんが立っていた。はらんだ怯えと涙腺の不安で顔をまともに見上げることはできない。目線を落としたまま彼と会話をした。問いには全て頷いて気遣いには首を振った。はずみでつい提案にまではいと答えてしまって歩き出す彼にふらふらとついていく。肩を並べることはできなくて俯いたままでいた。それでも彼の声に棘は生えなくて余計にざくざくと刺さった。道がときどき揺らぐように危うい。ひきつる喉はとうとう開かなくなっていつしか会話は途絶えた。けれども落ち着けない自分がわからなかった。この道はこんなに長かったかと思う。そんなことを考えるたび申し訳なさが募って、早く彼が私に気なんて失くしますようにと願っていた。
 「あ、月だ」
唐突に彼が言った。満月かな、と続ける明るい声がぱっと街灯をつけたように錯覚したけれど、よく考えるともう既に辺りはよほど暗かった。俯けていると何も見えなくなる。私はやっぱり顔を上げられなくて、なんだかふわと目眩までして、見えないですと一言告げた。それから突き放すような失礼なことをしたと思ったけどどうにもならなくてこれで幻滅をされたらかえってそれでいいと捩れて思った。けれども木野くんはおもむろに腕を上に伸べてカシャリと機械音がした。そうして虚をつかれて目を瞬かせた私の目の前に差し出された画面にはぽっかりと月夜があった。つられて見上げた顔があまりにやさしく笑っている。私はもう一瞬で胸が詰まってとうとう頬に生ぬるく溢れて、歪む視界で彼が慌てているのを察せたけどまた波状に流されてしまった。


すいません。駄目に拍車がかかるんです。わかっているのに駄目なんです。何とも思ってしまうんです。嫌われたくなくなっていくんです。あなたと見ると本当に、いつでも月がきれいなんです。生きたくなってしまうんです。今にも叫びそうな言葉が嗚咽に溶けていく。きっと勝ち目がない戦いで、それでも私は不幸になりたい。

 

 


◇◇◇


(エイプリルフール/久藤→木野)

 

真夜中に電話があった。今日言ったことは全部本当になるんだよ、とそいつは言った。俺は笑ってしまった。嘘つけ。お前普段だったらもっとうまい嘘つくだろ、と揶揄ったら奴も笑う。じゃあ今日言ったことは全部嘘になるね、と続ける。いやそれも違うだろうとは口を挟めなかった。妙に寂しく語尾が消えてく台詞だったから。それほど間を置かずに奴は言った。
 「お前のこと好きだよ」
あっさり溶かすように余韻もなく電話が切れた。俺は真意をはかりかねてそのままぼうっとした。微妙にこんがらがってあんまりほどきたくない。嘘かな。そうだろ。じゃなかったら何だ、嘘にしときたい好きって。いやいやいや。ってちょっとうろたえてる今の俺がきっと計算通りなんでしょうね実際。じわじわ気付いて腹も立たずにくくっと笑う。慈しみのようなものを含んだあの声は男とかそういうことは置いといて心地よかった。騙されていても別にいいなんて言えてしまう、なんて俺も嘘にしときたいことを思う。だめだな座りが悪い、久々だったからかも意外に。残り少ない春休みを数えて布団に寝転がって、しそこねた反撃をどうするかしばらく迷った。



やっちゃった、と握りしめた携帯電話を額にくっつけて電波が頭に突き刺さって記憶がごっそり削れてしまえばいいのにとわりと本気で願う。ああ、本当にあいつが言った通りうまい嘘をつくつもりだったのにいざ声を聞いたら忘れてしまった。何でだよ。休みはたかだか二週間だろ、一週間前にもちらっと会ったし。何でそんな小学生の女の子みたいな心理になってんの気色わるい。穴がなくても適当に埋まりたい。今だったら天の岩戸開けられるし閉められる。すごく恥ずかしいし馬鹿らしいし格好悪いし自己嫌悪とかもないまぜになってかつてなく惨めだ。僕もうちょっと出来る人間だった気がする、今よりは。溜め息をつきかけた瞬間に額に当てた電話が震えてびくりと揺れた。心臓止まるかと思った、って輪をかけて情けない。ちくしょう。開くと予想通りあいつからのメールで、けどそこには予期しない言葉があった。
 「おれはきらい」
え、と世界が止まりかけて今日の日付を思い出して力が抜けて、百万倍ガタガタに駄目になった自覚をしながらそれでも嬉しいという病でした。あいつまじで今度ぼろ泣きさせよう。決意を固めていたら追伸が来た。「うそ」、わかってるよ。電話を布団に投げつけそうになった。それでも不安になって送ったのかと思うと憎めない僕の負け。

 

 

◇◇◇

 

(習作・きのかが)

 
  
白くてちいさくて柔らかそうな線だけど丸く聡そうに尖って、ああきれいな造りだなあって輪郭の横顔が俯いて手元は熱心に文字を書き連ねる。椅子に座った背中も洗練としなやかだ。さらさらと頬に落ちる後れ毛とか微かに揺れる束ね髪とか、頼りないくらい細い首や肩、鉛筆を支えて丁寧に運ぶ手指に、俺はロマンチックなことをいくらでも言いたくなる。神の存在を信じてしまいそうだし、コートでそっと包んでどこかに連れ去ってみたい。もう初夏だからコート着てないけど。それにしたってかわいいな。とめどなくかわいい。こんな子が俺の恋人なんだよまじで、羨んでいいぜ神様。俺が頬杖ついて注視して頬を緩めないように努力しているとは気付かない少女は真剣な顔で何やら考え込み始めた。まつげの長さが改めて美しくて結ばれた口元がなんだかもう以下略。白い手の中で鉛筆の先がくるくると紙面を回る。いいなあいつもながらこの、懸命なアンニュイ。危うげ、とか言うのかな。何やってでも守り通すぜってなるよな。かっわいいなあ。たまらずくらくらと息をついていたら、顔を上げた彼女と急に視線がかち合って驚いた。そして少し焦る。だって多分いま本格的にメロメロな顔してたし、ていうかデレデレだし。引くよな。慌てて背筋を伸ばしてぎこちなく笑ってみる。手を振るのはなんか違ったよなあと思いながら気恥ずかしさで背中が熱くなった。そうしたら虚をつかれたような彼女の頬もたちまち蒸したように赤くなったから、かわいすぎて息を一瞬忘れた。

 

 「っ久藤なあ加賀かわいいかわいいかわいいい」
 「うるさいよ。わかったから当番の仕事して僕になついてこないで、ああほら見るからに困ってるよ加賀さん」
 「いやだってかわいい何あれもう本当かわいい」
 「あっつ!お前なんか震えてるし熱いし、いい加減かわいさに慣れろよ」
 「慣れれるか!天使だぞ天使まじで空前絶後の!」
 「腕に縋るな本人に言え、あと図書室は惚気るところじゃありません。ほらほら行った行った」
 「やっやめろ押すな!いま俺かっこわるいだろ茹蛸で!」
 「いやあの表情見るかぎり問題ないんだと思うけどな、なんだか輝いてるよきらきら」
 「…すげえ今きゅんときた」
 「はいはい」
 

 

 

◇◇◇

 

(習作・命あび)
  


気がつくと日が沈んでいた。学校帰りに貧血を起こして公園のベンチに座って、目をつぶって目眩をやりすごしていたのだ。病み上がりで子猫を追いかけるものではない、というような反省はこれで何回めを数えるんだろう。頭はいいのに学習能力がないといつだか父にあきれられたことを思い出す。全くその通りだ、今言われても多分ぶつけど。体が重たいから時間の感覚があやふやで、携帯電話をやっとで開いてざっと一時間は経ったことを知った。早いような遅いような気がして、電話を閉じる感触がやけに強く手に響く。ゆっくり息をしてみたけどやはりまだ歩けそうにはない。浮遊感と吐き気と、手がしびれるように冷たい。背もたれに体を預けきったまましばらく考える。ここに来たときにはそこらを走り回っていた子供たちもとっくに帰ってしまったし、夜の公園なんてあんまり気味のいいところではない。変な人も出るかもしれないし今は確実に勝てない。でも父親に電話はしたくなかった。またうるさく言われたら嫌だし、そもそもこの時間はまだ仕事中だろう。怪我じゃないんだから早退までしてもらうことはない。しかし動けない。少し弱った。悩んだ結果握っていた携帯をまた開ける。馴染みのある名前の列をスクロールして横書きだとひどく物騒になる人の欄を押した。何か困ったら怪我する前に連絡しなさいと言い聞かせられていたから。ちょっと変則的なところで頼ったことになるかもしれないが相手は暇だし医者なのだから別にいいだろう。電話を押し当てるとコール音が耳の中を響く。けれども期待外れなことに十何回目が鳴っても彼は出なかった。嘘つきは次回の診療時ぐるぐる巻きにしてしっぽ祭りに処します。怠く息をついたとき、小さな公園の横手を車のヘッドライトが滑った。それ自体はごくしばしばあることなのだけど、なぜか気をひかれて重たい頭をめぐらせる。車の停まる音とドアの閉まる音がして、公園の入口に人影が見えた。あ、やばいのかな。身構える気も起きずに座っていた。思考もひどく緩慢だ。


 「やっぱりここか」
そうしたら街灯に浮かび上がりながら近付いてくる人影が彼だったので驚いた。命さんは構わずに呆れ顔のまま私を覗き込んだ。思い出したように貧血なので家まで送ってほしいと述べたら納得して頷く。私は鈍いままの頭でようやく訊いた。
 「どうしてここが?」
 「君の着信音は違う歌にしてある」
正しい回答ではない、という意を込めて頭を叩く。直感だ、と彼は続けた。

 

 


◇◇◇

 

(わるいくせ/千里→晴美)

 

桃果汁のジュースがごくごくと喉を降りていく。舌や歯がつめたい液体に浸かるのは一瞬たじろぐけどすぐ甘さが脳にあふれてよくわからなくなる。快楽信号だなあ楽しいなあ、全部これくらい手軽だったらいいのに。ちょっと涙腺がにじむ。体がスポンジのように水気を吸う自覚をしながらふうと息をした。こくこくと昼は過ぎていく、わたしの机にはまだ真っ白な紙が積まれている。しかも二揃え。明後日まで。詰んでる。あああ。冷静になってよくよく考えてみるけど何をどこにどう割り振ってもまったく終わる気はしない。なんであれとそれの原稿の締切がかぶるの!そしてどうしてどっちもやらずにゲームに逃げたの!?ばん、と机に手をついてみたけど空のペットボトルがころりと転げて少し残ったジュースがこぼれただけだった。愕然とする気力もなえた。原稿につかなくてよかった、と袖で乱雑に拭き、そのままずるずると突っ伏す。積み上げた紙が頭のてっぺんに当たって痛い。もうやだあ、と一人つぶやいた。

するとそのとき扉が勢いよく開いて彼女が言うのだ、「どうして早め早めにやらないの!」ってそれはそれは手厳しく嵐と後光をいっぺんに背負って。


 

錆の浮いたスコップをひきずって帰路につく。乱れた髪は苛ついたけど直す気力もない。膝がくずれそうに足が重かった。路面の凹凸によろりと蹴つまずいて寸でのところで踏みとどまる。それだけで心臓がばくばく騒いでくるしい。めまいのような驚きがぎゅっと締め上げる。今わたしは何度傾いたのだろう。わからない、推定できない。なんにもできない。じわりと視界が熱くなる。蹲りそうになってこらえた。代わりにむかむかして呻きそうになる。鎖骨に手を押し当てる。ああ、ちょっと泣き叫んだだけであの人は逃げ出してしまった。なにか怖いものでも見るみたいな目をしていた。わたしは悪くない、きっと絶対に先生が悪いことだというのに。どうして。なんであんな命乞いみたいなことを言って震えたの?屠る気なんてないのに。ただちょっと、どれほど好きだか見てほしいだけだったのに!理不尽すぎて不条理すぎて測る気も計る気も起きやしない。目の端を長い髪が垂れ落ちている。支えにしたスコップの持ち手を強く握って、歯を食いしばるように何かをやりすごした。

そうしたら彼女は音もなく肩を叩いて思わず噛みつきそうに振り返るわたしを懐に引き寄せて言うのだ、「我慢しすぎって言ってるのに」とあまりにもやさしい笑い声を溶かして。

 

 


◇◇◇

 

(スカート/久藤と木野)

 

何で男はスカートを穿いちゃ駄目なんだろう、と俺は至極まじめに尋ねてみたのだが、久藤はこちらに目もくれずに答えた。曰く、「倒錯してるの?」してねえよ。そのラインを蔑視する気はないけど単純に俺は違うよ。別に女の子になりたいわけじゃなくてあの色んなバリエーションあふれる素敵なひらひらをぜひ俺の服にも取り入れたいだけだ。どうしてそれが許されない現代日本。なんでレディースを男が買っていくとひそひそ言い合うレジのご婦人。今こそ男のスカートに市民権を!声高く主張する俺に、一部では見なくもないけどね、と久藤が頁をめくりながら呟く。あれだって世間はわりと白い目に近いじゃん。あと俺あんまりああいう派手なバンドのファンみたいな人とは違うからよくわかんねえ。そう言うと確かにお前はカテゴリ分け難しいよねって返されたのでとりあえず喜んでおく。個性は褒め言葉だ。

 「ていうか、そんなに穿きたい?」
 「いや…穿きたいっていうか、選択肢の一つとしてあっていいじゃん」
 「そういうものかな」
いかんせん物が多くてさほど片付いているとは言いがたい俺の部屋で、俺たちはだらりと座り込んでそんな話をしていた。よくわかんない、と呟いて、とりあえず寒そうだから僕は嫌かなとかって呑気な奴を横目で睨む。今日の服だって産卵期の虫みたいだねで済まされたし。どういう状態だよそれはよ。これだから洒落っ気のない奴は嫌なんだ。あっこれだと面白みのない奴って意味になるか、えっとじゃあファッション探求心のない奴め。無難の山に埋もれてしまえ。

 「俺にとっては可能性の広がる楽しそうなアイテムなんだよスカート、なのにやっぱ難しいんだよな」
前に穿いて電車乗ったら変なおっさん寄ってきちゃったし。キルトだったら大丈夫なレベルだと思ったのにな、本来男物だし。軽くうなだれてジュースを注いでいると、読んでいた堅苦しそうな本を置いて久藤がこちらを見た。
 「女の子に間違われたんだっけ」
 「後ろ姿だけどな」
 「じゃあもういっそ女装しなよ」
 「適当だなおい」
開けておいたチョコスナックをつまみながらあっさりそんなことを言う友人に眉根を寄せながら喉をうるおす。炭酸も入ってないオレンジが少し苦い。久藤は続ける。
 「似合うと思うよ」
 「うれしくねえよ」
 「そのときは護衛してあげる」
完全に女の子に見える状態であれば、というハードルの高い注文をして久藤は笑う。ちょっと嬉しい自分が嫌だった。

 


◇◇◇

 

(夜歩き/久藤→木野)

 

あたたかい夜に出歩きたくなった。けれど風呂にも入ってしまったし着替える気も起きないしで本当に出て行くのは億劫だった。布団に入って頁をめくっていればその内忘れるだろうか、と濡れた頭をタオルで拭いながらしばし考えつつ両足はそわそわしている。街角にぽつんと座ってぼんやりしていたい、行き交う人に見つからないようにそっと。願望のため息をつくと丁度よく着信音がひびいた。メールを開くとこれまた少し疑ったくらい都合がよかったが、よくあることでもあった。木野からだ。「今からそっちいってい?」、いい?を略すのはあいつによくある語尾だった。僕は了承を返して、それから思いついて「どうせだから歩こう」と追伸した。木野からも了解と返った。僕は寝間着代わりの長袖Tシャツに厚手のパーカを羽織って下だけ普通のズボンに履き替えて、財布と電話と本を手にこっそりと外へ出る。夜道は街灯や建物の明かりで浮いて見えて、春らしく生温い。

指定したコンビニの前までしばし歩くと、木野は上着のポケットに手をつっこんで待っていた。店から洩れ出る白い光りに浮かび上がって見える。薄暗い中でもわかる独創性に笑ってしまう。きらきら光る鱗模様の上着と首にはショールを垂らして、巻きスカートのような布の下にサイケな柄のレギンスを履いていた。木野は腕に提げたレジ袋を示して、あとで飲もうぜと口端を上げた。微笑して頷いてから隣り合って歩き出す。僕も木野も特に喋らないで足を進める。行き先は決めていなくて方角もデタラメだ。海沿いに住んでいたら海に行ったのにな、と今日読み終わった本みたいなことを考える。港町の少女のことを考える。

夜風が湿った髪を後ろへ撫でた。住宅地を抜けると瞬く看板やすれちがう人や騒音がだんだん増えてきて、僕らは知らん顔で酔っ払った街を突っ切る。この辺りは場末っぽい安っぽさで薄く澱んでいる。人が途切れる場所に奥まった軒先を見つけて、示し合わせたようにそこに落ち着く。空き店舗らしくシャッターが閉まっていた。そこに二人でもたれかかって、木野から冷たい缶を受け取る。予想外にただの甘ったるい炭酸飲料で揺らしたのか開けたら少しこぼれて、それが同時に二人してだったので小さく笑った。通りを挟んだ向こうを中年の男数人が騒いで歩く。ネオンの原色たちがきわだってまぶしく見える。僕らはここにはいないもののように立っていた。誰にも見えない中お互いだけわかるというような妄想をまばたきの間だけたゆたう。こんなくだらないことも考える人間だって、こいつは知っているかな。

目を向けると木野は右隣で缶の縁にたまったサイダーを見つめていた。俯く角度でふっと少女めいて見えるときがある。デートみたいだと思ってばからしくて笑ったら木野が顔を上げた。口に残るサイダーの泡が少しだけ苦い。夜空に月が上向きに横たわっていた。

 

 


◇◇◇

 

(おしごと/久藤と木野)

 

見ろよこれ、といかがわしい雑誌を広げて喜んでいる級友の輪を木野は呆れたように横目で見ていた。僕は隣でその顔を細かく盗み見てみたけれど本当に興味やら欲求がちらりともしなかったので正直おどろいた。てっきり咎めるような態度をしながらひそかに覗きこむかと思ったのに。学校でそんなの見てんなよ、と眉間に軽くしわさえ作っている。潔癖な女の子みたいというよりはまだそういうのを知らない子供みたい、あれ違うな。これを表す適切な言葉は何だろう。そう考えてつい不躾に眺めていたら急に目線がかち合った。途端におどおどと顔をそらしたから一層ふしぎだ。やましいことはなさそうなのに。
 「なあお前も入れよ、ぶっちゃけ見たいんだろ?」
 「見ねえよ」
 「またまた、強がっちゃって」


木野にしつこく絡んでいきながら、ほらっ、と芳賀は肌色な写真のページを広げて目の前に掲げた。強制的に僕の視界にも入った彼女は挑発的な顔で芳賀の大好きな箇所をいろいろ晒している。お仕事ってすごいんだなあ、と僕は工場見学の子供のようなことを思った。つまり特に感慨はない。しかし木野は口元をねじまげて黙って眉間のしわを深くしている。芳賀は首をかしげて雑誌のページをめくり直して、じゃあこっちはどうだ!と懲りずに見せた。同じ人だけど今度は半端に脱げた服のままカメラを見上げてしどけなく座っている。木野はいよいよ舌打ちのひとつでもしそうなほど芳賀の顔を睨み上げた。
 「俺的には物足りないけどムッツリにはこれだよな!」
芳賀は気付かず楽しそうに笑って雑誌を木野の顔にぐいぐい押しつけている。木野は意地なのかそれを手のひらで押し戻す。それじゃ逆に見えないよなあと思っていたら、木野が椅子を倒す勢いで立ち上がって雑誌を奪い取って机に放り、そのまま芳賀の頭頂部を覆うようにがしりと掴んだ。


 「見ねえっつってんだろ」
おびえて笑う芳賀に目線を合わせて一字ずつ区切るようにはっきりと言い捨てる木野は、近年まれに見る怒った顔で笑っていた。このように人間の笑顔には多様な種類があるわけだが、僕はそういえばこういう顔を引き出せたことはないなと不意に思った。
 「何でそんな嫌なの」
僕は見かねたわけでもなく訊いた。木野は急に力が抜けたようにぽっかり真顔になってじわりと泣いた。ああやっぱりこういう顔をさせるんだな僕はと思う。木野は悲しそうに俯いて、この人ちょっと加賀に似てるからと呟いた。黒子だけだし位置もずれていた。

 

 

◇◇◇

 

(牛乳紅茶/久藤←木野)

 

ざあざあとノイズが走る。肌寒くて目が覚めた。ふと見ると布団が床に蹴散らされていて、そりゃ寒いよなと我ながら笑う。寝相が悪いのは運動不足っていうもっともらしい説を聞いたことがある。窓の外は寝入る前と変わらず春らしい雨降りだった。真っ暗な室内は眠気が飛んでしまって、かけ直した布団も他人行儀に冷えたままだ。このままでは寝れそうにないと忍び足で階下へ降りる。冷たい床は凍えるってほどでもなくてもう三月だ。
 「あれ?」
台所の戸を開けると明かりがついていたので、思わず疑問符がひとつ出てきた。ちゃんと消して上がったよな。見るとシンクに放ってあったコップが洗って乾かしてある。首を傾げていると背後に気配がした。
 「あ」
飛び上がって振り向くとそこには久藤がいた。なんだ、と俺はほっと息をつく。脅かすなよと睨んだらごめんと笑われた。いつでもそういうかわし方がうまい。
 「どうしたの」
 「喉乾いた」
 「じゃあお茶入れようか」
座ってて、と勧められるまま居間の席につく。久藤は適当なくせに紅茶を入れるのがうまい。俺はふと思い出した空腹のままに戸棚にクッキーがあると言った。久藤はこんな時間に太るよと笑った。生姜入ってるからたぶん平気、と俺は嘘っぱちを返した。久藤はくすくす笑いながら手ぎわ良くお湯を沸かす。俺は真夜中だからテレビもつけずにおとなしく茶が入るのを待つ。待てをされてる犬のようだ。妙にふわふわ心地いい時間が過ぎる。ふと、ぎしりと床が軋んだ。振り返ると久藤がすぐ間近に来ていた。
 「甘いよ」
なにが、と言う間もなく床に転んだ。久藤の顔がくっつきそうなくらい近かった。額と額がくっつく。あまりにも近すぎて久藤がよく見えない。小さく舌を出してる気がした。そこで目が覚めた。

 

体を起こすと雨ばかり降っていて、やっぱり布団も落ちていた。俺はさっきの夢を再生して首をひねる。うっすらと汗も出てくる。論理立ってめちゃくちゃだ、まだ街が怪獣に食われて空き缶に逃げ込むとかのがわかる。はあびっくりした。今が春休みでよかったようなそうでもないような。何、寂しいのか俺。いや一昨日も会ったし。そういう問題じゃないし。お茶まではともかく、んで本当に喉も乾いてるけど降りる気はしない。勿論いる訳ないんだけどそれでも。うわ恥ずかしい。ひんやりした布団をかぶってごろんと寝返りを打つ。一口飲みたかったとは思いつつ、落ち着かない心臓を抱えるようにしていたらその内眠った。

 

 

◇◇◇

 

(ふとん/久藤→木野)

 

人の布団に体を投げ出してうつらうつらと瞬きをする木野の仰向けの腹は、服に入ったたくさんの切れ込みから素肌が垣間見えるようになっていた。拷問だ。どうして元から訳のわからないものを更によくわからなくするのが好きなんだろう。それだけだったらともかく予期せぬ効果を生んでることに気付いてくれないよね。知ってた。僕はどんどん呆れ笑いがうまくなる。とりあえずここで寝られると困るので起こす。しかし声をかけながら肩を揺さぶっても目を瞑ったまま嫌そうに首を振るだけだった。現在の時刻は夜の10時。年齢一桁台じゃあるまいし、まだ風呂も入ってないというのに。しかたなく実力行使を試みる。手を置いてみるとかたい腹は薄くて骨っぽさを感じてまるっきり僕のと同じ種類の手触りだった。違和感がしたのか木野が目を開ける。それを見計らって切れ目から覗く脇腹を指の腹でなぞった。切れ長の目が軽く見開く。続く抗議の声は無視して両手の指を駆使すべく思いきりくすぐった。断続的に響く笑い声とじたばた立てる物音。こちらを見上げる木野の染まった頬の威力で後悔がちょっとよぎった。身をよじったり跳ねさせるたびにくすぐられるこちらの心の機微は無視する。息も絶え絶えになったところで解放してやると、荒い息のままぐったりとしている。ああ無視無視。恨めしそうにこちらを見る横目に思わず肩を跳ね上げかけてとどまる。はやく風呂に入るか客間に用意してある布団に行けと追い立てると、寝られなくなっただろうと口を尖らせた。断固として無視。しかしそういえばこいつはやられっぱなしは嫌いらしい性格である。そうして今日僕にはのっぴきならない隙があった。だからと言おうか何というか、木野はのろのろと起き上がったかと思うと僕の肩を掴んで引き倒した。不敵で楽しそうな笑みがぐんと近付く。

 「攻守交替な」
あ、絶体絶命。

 

 

◇◇◇

 


(習作・丸内×根津)

 

お札を弾いて数えるときの彼女の指先は美しいといつも思う。あまりに素早く手品師の仕込みみたいに完了してしまうから、今日みたくよほどの売り上げがあるときしか眺めていられない。したたかでしなやかな、肉にくらいつく猫みたいに愉しそうにまつげを伏せる横顔は天性のもの。ネヅだけどネコ、だなんてくだらなさすぎて呆れて笑われてしまうだろうなあ。他の誰か無益なもの(たとえばあのおハゲくん)が言ったなら確実に踏まれてパキパキコースでしょう。わたしは違ってしっかり囲われている。抱っこして寝たがるお気に入りのぬいぐるみさん、いいや背中を預ける片割れ。抱っこも頬擦りも何でもされているけどさ。安堵か優越に頬を緩ませたら興味をひいたのか美子ちゃんがこちらを見た。札束が積まれて数え終わっている。黒い切れ長の人を射抜くひとみがきらめく。


 「翔子ちゃん、嬉しい?」
美子ちゃんがやさしく聞いた。口角を緩めたまま首肯すると途端に目元をやわらげて、納得したように頷きながら帳面をぺらぺらめくる。今回はまた随分うまくいったよねえ!数字をたくさん書き入れながら勝利の美酒でも舐めるようにつぶやくので、ちがうよと言うのも悪いしそういうことにした。確かにそれもあるし。お金がたくさん入るのはもちろんだけど、二人で考えた手筈通りあざやかに決まるのが嬉しい。わたしの企みや目論み自体を宝の地図みたいに扱ってくれるのが、きれいな肉食獣からの信頼と許容が嬉しい。飼い慣らす?いえいえ滅相もない。ゆったりじゃれつかれては危機と愛情に身を焦がす心地よさといったら。
 「今日、すごーく楽しかったね」
 「けど緊張感がなくなるからね、次はスリルを得よう」
殺風景な部屋に甘さを含んだ声が響く。冷たいテーブルに怜悧な計画が広がる。蜜月の密談は明日の更なるハッピーな危険に向けて。ノートに目線を落とすつややかな黒髪をそっとなでると、丸くて小さな頭がこそばゆく揺れた。
 「なあに」
 「ふふふ、美子ちゃんとちゅーしたい」
 「おいで」


お誘いがほほえんで腕を広げたからちゅーだけじゃ済ませられそうにない。かたい背もたれにゆっくり追い詰める。食べられるのではなくて襲うのです。ネヅなのにネコ、おかしい。触れるたび熱に浮く体を撫でながら誰よりも賢いつむじにキスを降らす。この精密機器はのぼせても回るからすごい。ただひとり心から抱き締めたい相手だと求め合える嬉しさに酔った。ミコのミはミワクのミ、きっと。

 

 


◇◇◇

 


(春/久藤←木野)

 

浮かされる夜が来ると、ああもう春なんだなって実感させられる。氷を口に含んでいたいような気分で、でも冷たいものを飲むにはまだ暖かくない。きっと僕だけが微温を余していた。重たいのに閉じない瞼に嫌気がさす。苦しく寝返りをうつと、木野が目ざとくこちらを見やった。僕が転がるベッドにもたれて胡座をかいて本を読んでいる。床に座って寒くないのかってよぎるのがまだ春に慣れてないということ。喉が渇く。
 「寝れないのか」
耳に心地いい高さの声が響く。僕はなんとなく目を合わせたくて首を少し持ち上げて頷く。そっか、と木野が呟いて閉じた本を片付けだしたのでまたぽすりと枕に頭をつけた。耳の奥が気怠いし、体を包む寝具が熱をはらんでいて落ち着かない。ここは木野の部屋これは木野の布団。それだけでまあつまり、やましいのです。本当に毛布と枕だけ貸してくれたら床で寝たのに。ありがたいけどありがたくないことをするよね。抗議になれない溜め息を喉の奥で溶かした。息をするたびに頭の芯が生ぬるく湿っていく。木野はありあわせの布団に俯せになってこちらを見上げる。眠いとき着るには向かなさそうな柄のTシャツと長ズボンに裸足で薄手の毛布を巻きつけて、なんだか楽しそうだ。
 「今日、暑いよな」
ついこの間まであんなに寒かったのに、組んだ腕に頭をのせて楽しそうに笑う。木野の洗い髪が後ろに流されておとなしくまとまっていた。指でくしゃくしゃにかき回してやりたくなる。ああ、ああ。少し襟元のよれた洗い晒しのシャツがおっかない。襟足から覗くうなじの線は確かに細いけれど僕のと同質だった。背骨一つ一つの影まで見えそうでまた僕の頭に変なものがはびこりそうでだしぬけに適当を言った。
 「春はこわいね」
そうしたら思いがけず本音になってしまって内心冷やっとしたのだけど木野は気づかずに笑っている。このベッドに招き込めたらどれだけきもちのいいことなのか。葡萄は甘さを想像するとき一番甘いのだとは思うけど、口が曲がるほど苦いと知るのもまだ味を知らないこともきっと幸いで不幸だ。手をのばす気もない狐の話。
 「春はたのしいって、いろいろ。あったかいし、食い物うまいし、よく寝れるしさ」
腕が疲れたのか仰向けに寝返りして木野はふわふわと口を開けた。早くも眠いんだな、と僕は悟ってほろ酔いみたいに甘そうな笑顔に苦笑する。はいはいと言って起き上がっていらない布団を一枚分けてやった。まだ明け方前は寒くなるに決まっている。
 「電気消すよ」
笑顔が夢に出ませんようにと祈って紐を引いた。

 

 

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(青空/久藤と木野とカフカとカエレ)

 

風浦さんが唐突に宇宙の人との挨拶を練習しはじめて木野が軽々しくそれに興味を持ってしまい、取り残された僕は深入りしなきゃいいけどなあと思いながら意図がつかめない思考回路の少女と意味がわからない服飾指向の奴を眺めていた。昼休みに木野と教室で昼食をたべていたらいつの間にかやって来ていてこうだ。あざやかだね、と僕は窓際で青空を背に盛り上がる二人に向けてつぶやく。食べ終わっていないので席に座ったまま。紙パックのお茶は飲み切るとき紙の味がするのがいやだ。


 「何よあれ」
尖った声に振り向くと波打つ金髪の少女があきれた顔して立っていた。なんとなく会釈すると腕を組んだままちろりと睨む。機嫌が悪そうなのはいつものことなので心配はしなくてよさそうだ。初めてこの教室に来たときですら既に怒っていた気がする。そういう人だった。
 「ああうっとうしい、訳分かんないのが増えたよ」
おかげでちかちかする、と言うがそれはそうだ。日の光を受けて風浦さんの髪止めと木野が学生服の上に着ているTシャツの飾りと、机に広げだした鈍い銀ぴかの紙がきらめいている。二人は宇宙の人についての講義を始めて楽しげに笑い合う。僕は眉を寄せて片目をつむる。よほど輝く色の髪をなびかせて木村さんがたまらず声を投げた。
 「まぶしい!」
それでやっと気がついたように風浦さんが振り返って笑う。手招きされて木村さんは辟易したように首を横に振る。風浦さんはわざとらしく小首をかしげて歩み寄る。圧されて後ずさってから仕方なさそうに手を引かれていく。木野はそれを見ておもしろそうに笑っていた。木村さんが声を荒げると弁明するように手を振る。銀ぴか紙が光っている。三人も光っていた。僕はいつまでもお昼を食べ終われない。喉につっかえる冷やご飯を飲み下して休み休み箸を進める。風浦さんが僕をぱっと振り向いて言った。
 「喜怒哀楽がそろってしまいました!」
何だそれ、と木野が声を上げて笑った。木村さんも手をとられたまま呆れて怒るふりをする。楽しそうな少女は歌うように講釈を続ける。あの紙を広げて感情のパワーを踊りであらわすと地球人のいたいけな意思を感じたなんとか星人さんがいらっしゃいます!幼児をはしゃがせる大人のような声が僕の耳をすべった。これはそのいけにえです!と木村さんの両手をつかむ。すると高い怒声がひびいて追いかけっこが始まったので、僕はかなしくなんかないよと言いそびれてしまった。まったく上手なことだ。


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